邪馬台国について
このブログでも邪馬台国について多々取り上げてきたが、私自身はその中で一貫して近畿説を支持している。その理由については、このウェブページで紹介する記事をご覧頂きたい。
ところで
「邪馬台国とは一体どこにあったのか。」
という国民的論争はいまだに決着を見ていない。魏志倭人伝に記されている『親魏倭王』の金印が発見されれば、所在地特定の大きな確証になるのだろうが、そういった確証を得るには至っていない。
卑弥呼が魏の皇帝から下賜された『銅鏡』について、近畿地方から多数出土しているが、それだけで邪馬台国が近畿に存在したと確信していたら、このテーマに心血を注いでいる学者の方々に失礼になる。それに、邪馬台国がヤマト王権の原型であったかどうかも現状では定かではない。
「近畿地方=ヤマト王権=邪馬台国」という考えも単なる憶測の域でしかないのだ。
今までの話は、近畿説を支持する私自身に対して半ば言い聞かせるような内容であったが、それだけ邪馬台国論争とは実に曖昧な議論であり、そうした憶測が新たな憶測を生むという極めて脆い論説の集合体なのだ。
そんな邪馬台国論争を考古学的調査によって解明しようと、昨今から纏向遺跡の本格的調査が開始された。この調査についても、私自身注目し、ブログでも取り上げてゆこうと思っている。
この邪馬台国論争が、関係者の尽きることのない情熱と、21世紀の最新技術によって解明されることを願っている。
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