カテゴリー「映画・テレビ」の17件の記事

ドラマ『坂の上の雲』キャスト

 今秋から放送予定のスペシャル大河ドラマ『坂の上の雲』の配役がほぼ決まった。
 配役は以下のとおり。

秋山真之 本木雅弘

秋山好古 阿部 寛

正岡子規 香川照之

正岡 律 菅野美穂

夏目漱石 小澤征悦

秋山久敬 伊東四朗

秋山 貞 竹下景子

秋山多美 松たか子

伊藤博文 加藤 剛

広瀬武夫 藤本隆宏

東郷平八郎 渡 哲也

高橋是清 西田敏行

児玉源太郎 高橋英樹

長岡外史 的場浩司

井口省吾 堤大二郎

藤井茂太 宮内敦士

陸 羯南 佐野史郎

正岡八重 原田美枝子

秋山季子 石原さとみ

山本権兵衛 石坂浩二

八代六郎 片岡鶴太郎

乃木希典 柄本明

乃木静子 真野響子

伊地知幸介 村田雄浩

 私が思うハマリ役は何といっても正岡子規の香川照之さん。
 映画『剱岳<天と記>』では、案内人の宇治長次郎役を見事に演じきった。また、演技派女優として応援している菅野美穂さんの妹リツ役も期待大だ。
 小説では天才として評価されている児玉源太郎は、高橋英樹さんが演じる。児玉にしてはカッコ良すぎる気もしなくもないが。私は映画『203高地』を観ているので、どうしても児玉=丹波哲郎さんのイメージが強い。
 小村寿太郎の竹中直人さんはハマリ役だろう。

 さて、乃木大将の配役である。先日、柄本明に決定した。小説では徹底的に愚物として描かれた乃木大将、それを誰が演じるのか期待して待っていたのだが、柄本さんとは意外である。前述した203高地でのイメージが強く残っている私は、乃木=仲代達也さんのイメージであるため、ドラマにおいても重厚感のある役者さんが演じると思っていた。
 柄本さんが決して重厚感がないとは言わない。ただ、どうしても『功名が辻』での秀吉のイメージが強いので、この配役を聞いたときは「えっ」と思ってしまった。しかし、評価はドラマを見てからにしたい。
 あとは無能参謀伊地知を村田雄浩さんが演じる。村田さんといえば、私が楽しんで見ていた『スチュワーデス刑事』で財前さんの夫役を公演した俳優であり、個人的には好きな俳優さんである。無能伊地知を村田さんがどう演じるのか注目したい。
 スペシャル大河ドラマ『坂の上の雲』、今から楽しみだ。

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島津久光の凄さ

 半ばホームドラマのような大河ドラマ篤姫であるが、前回放送を観ていて今までの主観を考え直すようなシーンに見入ってしまった。それは島津久光と篤姫との会談のシーン。
 元々西郷に対して敬意を抱いている私にとっての久光とは復古主義者の代表みたいな存在であり、寺田屋事件の経緯などからも冷徹な国父様というイメージが強かった。しかし同郷同族の篤姫に対しても自らの信念を貫き通し、「挙国一致」という思想を兄から継承した気概は称讃に値する。また今まで気付かなかったことがお恥ずかしい話なのだが、精忠組に代表される藩下級武士を積極的に登用し、彼らに権限を与え、幕末の動乱期において大国薩摩藩を操作した政治力は実に見事である。
 土佐の山内容堂が有能な郷士を重用しなかったがために時勢に乗り遅れたのに比して久光は小松帯刀のような家老格から大久保利通のような成り上がりまで身分にこだわることなく登用した器は時代が時代なら一国の統治者に成り得た可能性もあるだろう。
 もし山内容堂が対外交渉は坂本龍馬、藩内郷士の統率を武市瑞山、軍事戦略を板垣退助というように権限を与え、久光のように大局的な視点で幕末の時勢を駆け抜けていたならば、主役は土佐藩であったかもしれない。しかし悲しいことに容堂は徹底した佐幕派であり、土佐冊封時から続く藩内の身分制度に執着したあまり薩長の動きについてゆけなかった。
 こうして久光と容堂を比較しても久光の手腕が秀でていたことが分かる。有馬だろうが篤姫だろうが己の進む道を妨げる奴は容赦せず、かといって能力がある奴には絶大な権限を与える。そんな島津久光には畏敬の念を抱く。
 今後も島津久光については徳川慶喜同様色々と調べてゆきたい。
Hisamitu
お由羅の子として生まれた故に後見人就任当初は斉彬派からの支持がなかった久光。しかし兄の遺志を継ぐことで藩内の志士たちを見事に統制したバランス感覚は素晴らしい。

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戦国武将

 現代に生きる日本人の戦国好きは相当なものである。戦国時代を舞台としたドラマを製作すれば割と視聴率が良いし、家庭用ゲームなどでも戦国時代を扱っているものが多く人気も高い。争い(戦争や紛争)に直接関与することがほとんどなくなった現代日本人にとって戦国時代とは戦うという本能、いわゆる闘争心がくすぐられる時代なのかもしれない。また、そのような時代を知略・謀略・政略といった権謀を用いて戦い抜いた戦国武将を、自己や現代の為政者などに投影して人間性を分析することも好むのが特徴だ。それだけ戦国時代は今に生きる人々にとって良くも悪くも魅力的な時代であるのだろう。
 少々小難しい前述となったが、私が仕事の帰りに聴いているJ-WAVEの番組に「PLATOn」という番組がある。毎回あるテーマについてその分野に詳しい方々をゲストに呼び、それを哲学してゆこうという趣旨の番組なのだが、一昨日のテーマが戦国武将であったので、いつも以上に興味深く聞かせてもらった。今まで私が詳しく知ることのなかった後藤又兵衛の存在や、伊達男という呼び名の由来、安土城の秘密など日本史初心者の私には大変感心させられる内容であった。
 番組の中では好きな戦国武将についてリスナーからメールを募集したのだが、やはり信長の人気は劣れ知らずといった感じで、信長以外では伊達政宗、今川義元などの名も挙がった。また、稀有なリスナーからは山内一豊に一票あった。千代さんの内助の功が有名な一豊を再評価してほしいという願望かもしれないが。こうしたアンケートを通じて感じたことは、やはり戦国時代に生きた武将はド派手であればそれに比例して人気も上がるということであろう。信長しかり政宗しかり。派手さが戦意高揚にもつながると彼らは理解していたのかもしれない。
 話が番組から逸れるが、以前このブログでも「天下を取ってほしかった武将」というアンケートを実施したが、結果はこんな感じだった。

伊達政宗 7%
武田信玄 16%
上杉謙信 18%
北条氏康 6%
織田信長 26%
明智光秀 15%
毛利元就 6%
その他 6%

 ここでも信長の人気は凄い。因習や儀礼などは一切重んじず、合理的な手段を好み、かつそこに情などはない。私の苦手なタイプの人間ではあるが、日本人には自身の持ち合わせていない破天荒さと強情さが魅力的に映るのであろう。
 信長が嫌いな私ではあるが、いづれは司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んで、斉藤道三の視点から信長像に触れてみようと思っている。
 戦国時代、実際はどのような時代であったのか真実を知りたい。

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会津藩藩祖 保科正之公を大河ドラマの主役にしよう

814861158_93  日本人の民族性と言うのは、基本的に控えめで謙虚であるため、そうでない人物を英雄視する傾向にある。例えば織田信長然り、坂本龍馬然り。
 それはそれで構わないのだが、その一方で日本人特有の「地道に歩んで着実に結果を出す」ような人物も同様に尊敬されても良いのではないのかと考えている。確かに「面白みに欠ける」と言われればそれまでだが、実際我々日本人の模範となるのはそのような人物であると私は思っている。
 日本の歴史上、そのような人物の代表格として真っ先に名が挙がるのは「上杉鷹山」であろう。借金塗れで倒産寸前の米沢藩を地道に再建したのだから。ただその鷹山もケネディ大統領が名を口にしなければ米沢「だけ」の偉人であったに違いない。そしてその○○だけの偉人として有名なのが、私が何度もブログで取り上げている「保科正之」公である。
 正之公の実績は今更語る必要もあるまい。過去の記事で散々取り上げているし、またウィキなどで調べて頂ければ大雑把な概要はわかるであろう。その保科正之公を大河ドラマの主役にしようと会津若松や高遠の有志が集まり「名君『保科正之公』の大河ドラマをつくる会」が結成された。
 平成21、22年の大河ドラマは「天地人」(直江兼続)・「龍馬伝」(坂本龍馬)で決まっており、正之の大河は23年の放送で実現を目指すとの事だ。
 日本国民の意識が「そんなの関係ねぇ」や「どーでもいいですよ」と投げやりの風潮にある今、地道に実績を積み重ねて、派手ではないが最終的に将軍補佐にまで上り詰めた正之の生き方は必ずや模範となるはず。そんな保科正之を主人公にした大河ドラマを是非実現してもらいたい。

最後に「名君『保科正之公』の大河ドラマをつくる会」についての記事を紹介しておく。

 会津藩祖保科正之公のゆかりの地が一体となった「名君『保科正之公』の大河ドラマをつくる会」の設立総会は12日、東京・新宿区で開かれた。生誕400年に当たる平成23年の実現を目指し、NHKへの要請活動を開始した。
 つくる会は福島県の菅家一郎会津若松市長、津金要雄猪苗代町長、長野県の小坂樫男伊那市長らが発起人となり、本県と長野の両県知事、国会議員、県議、報道関係者ら約90人の賛同者を集めて結成した。本県関係では菅家市長、津金町長のほか佐藤雄平知事が顧問を務め、遠藤忠一県議会議長、渡部譲県議会副議長、宮森泰弘会津若松商工会議所会頭、渡部世一福島民報社社長らが相談役や委員として参画している。 
 総会では、発起人を代表して小坂市長が「名君として徳川幕府を補佐した正之公の功績を広く次代に受け継ぐため、ゆかりの地が一体となってドラマ化に取り組んでいこう」とあいさつ。菅家市長が「徳川幕府の初期を支えた正之公の足跡を検証することは大変意義深い」などと設立の趣旨を説明した。このあと、会長に小坂市長、副会長に菅家市長と津金町長らを選任し、約25万人分の署名を持参してNHKへの要請活動を行った。 
 正之公は徳川二代将軍秀忠公の四男として誕生。7歳の時に信州高遠藩の保科家に養子入りし、21歳で藩主になった。三代将軍家光公の信頼を得て会津藩主に抜てきされ、藩の家訓15条を制定するとともに殉死の禁止、社倉(共済制度)や年金制度の創設などの善政を敷いた。家光公の没後は四代将軍家綱公の後見役になるなど徳川300年の礎を築いた名君として高い評価を得ている。 つくる会は長野県の旧高遠町(現伊那市)が中心となって設けた「つくる会」が発展して誕生した。

 2008年2月13日 福島民報

 関連サイト
 会津若松市長 菅家一郎氏のブログでも取り上げられています。
 http://local.election.ne.jp/kanke/4437.html

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明治政府の国家建設

早いもので「日本史探求」は3月13日で3年を迎える。
ブログと言うツールをどのように使ってゆこうかと模索していた時に、自分が関心を持っている日本史を取り上げることがベストだと考え始めたのだが、まさか3年も続くとは正直予想外だった。やはり
「石の上にも3年」
「好きこそものの上手なれ」
ってことだろう。
さて、今回は「日本史探求」を始めた2005年の4月から5回シリーズで放送された
NHKスペシャル「明治」
の動画を紹介しつつ、私の明治に対する想いを綴ってゆきたい。
まずは動画をご覧いただければと思う。序章から第4章までかなり長い時間だが見ごたえある内容だ。
今回紹介する動画「明治」では日本が近代国家へ成長してゆく過程、そしてその核となった政策を3つのテーマ(教育の重視・文化の独立・人材の活用)に分けて検証している。これを見れば明治日本の近代化への道がよく理解出来るはずだ。

ところで、番組の中で医学博士で評論家の加藤周一氏が
「日露戦争前の日本は膨張主義ではなく、独立を目指していた。」
と語っている。
以前、司馬遼太郎氏についての記事でも取り上げたが、司馬氏は日露戦争(厳密には日比谷焼き打ち事件)以前の日本は
「自己認識していて、現実的にそれを解決しようとしていた。」
と述べている。
両氏とも日露戦争が日本を非現実的な方向へ向かわせたと考えているようだ。
確かに日本が大陸へ目を向けるようになってからと言うもの、自国の生産力以上の力を発揮しようと背伸びしていたことは否めない。ただし日本がそうした幻想を持つようになったのは、わずか50年程度の年月で欧米列強に肩を並べることが出来た自信からではないだろうか?
実際には肩を並べたのではなく、幕末に欧米列強と結ばされた不平等条約によって「独立」が危ぶまれた日本を、真に「独立」させるために明治の政治家・役人が坂の上の雲をつかむが如くに必死に内政や外交そして戦いを展開してきたことが結果として欧米列強と同じ位置に立てた要因だったと私は思う。
以前取り上げた「ノルマントン号事件」や「三国干渉」なども日本が列強として飛躍する原動力となった訳であり、それを喉元過ぎればでいざ国際社会で認知されると自信が過信となり、自己認識出来なくなったのが5・15事件から終戦までの日本であったと考える。
こうした過程でも特に明治日本には「国家建設」の原点を見つけることが出来る。それは自己認識と言うごく自然の姿を。

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NHKあの人に会いたい 司馬遼太郎

インターネットでのオンデマンドはとても便利で、特にyoutubeは色々な番組や地域情報などを映像で見ることが出来る。前回の記事で取り上げた真弓鑵子塚古墳内部映像も早速投稿されていたのには驚いた次第である。
そのyoutubeで「司馬遼太郎」と検索してみたところNHKで放送された「あの人に会いたい」と言う番組の映像を見つけることが出来た。もちろん「あの人」とは司馬遼太郎氏のことである。
この番組の中で司馬氏は、日露戦争直後に発生した日比谷焼き討ち事件を引き合いに出し、あの時日比谷に集まった人々ときわどい勝利であったと言う真実を伝えないメディアが後の太平洋戦争と言う無謀な戦いへと導くきっかけを作ってしまったと嘆いている。要はこの時以降の日本は自己認識出来なくなっていったと言うのである
詳しい内容は映像を貼り付けておくのでご覧頂きたい。

ちなみに私は司馬氏の考え方とは異なり、日露戦争によって過度の自信を得た日本は、太平洋戦争に至る過程を「進むべきして」進んでいったと考えている。それはメディアや為政者の失策ではなく、時代そのものがその方向へ向かわせたのだ。
「試行錯誤」と言う言葉があるように、挫折を味わうことで次のステップが見えてくることもある。日本が多くの命と莫大な国費を費やして挑んだ太平洋戦争に敗れたことは国民感情(私の場合だが)としては正直悔しいし、亡くなった日本人(日本のために戦ってくれた異民族も含めて)遺族の無念は如何ばかりのものであったのだろうか。ただ多くの犠牲を出した敗北が、今度は日本の新たな特性を見出すきっかけとなったとも言える。そう考えると太平洋戦争の敗北を「屈辱」もしくは軍事政権からの「解放」と言う簡単な言葉で片付けられないのだとそんな想いを抱いている次第である。

最後に、私のこの国に対する想いを表す言葉は
「この国に生まれて、そしてこの国の歴史を誇りに想う。」
である。だからこそ、この国の先人たちが歩んできた道(歴史)を知りたいと言う気持ちになるのだ。
これからも、私の日本の歴史を探求する気持ちは薄れることはないであろう。

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NHKその時歴史が動いた 緒方洪庵・天然痘との闘い

天然痘…。奈良時代、平城の都で猛威をふるい朝廷の実力者のほとんどを死に追いやり(長屋王を謀殺した藤原四兄弟も天然痘に伝染し死亡している。)、16世紀にはアステカ文明を滅亡させた病だ。
時代は下り江戸時代末期、自らこの天然痘を患い生死を彷徨った人物が後に天然痘予防薬を用いて多くの人々を天然痘から守ることになる。その人物の名は緒方洪庵。大坂に適塾を開き福沢諭吉、大村益次郎らにオランダ語を教えたことで有名な人物でもある。
洪庵はシーボルトらオランダ人が持ち込んだ医学書を熟読し、天然痘には牛が天然痘にかかった際に体内に発生する牛痘を取り出して人間に埋め込むこと(※)で耐性がつくことを学んだ。そして洪庵は多くの日本人を天然痘から守るために私財を投じ、生涯を通じて天然痘予防に尽力するのである。

と、この前放送された「その時歴史が動いた」を見て洪庵が天然痘ワクチン普及に尽力したと知り感動してしまった。
時代はまだ鎖国の続いていた江戸末期、近代医学を説いても迷信などが障害になり人々には受け入れてもらえない。そうした逆境を信念で跳ね除けた緒方洪庵と言う人物は尊敬に値する。また、この時代は鎖国をしていたため日本は後進国だったような言われ方をするが、洪庵以外にも華岡青洲や伊能忠敬など世界でも類を見ないような偉業を成し遂げている人物も存在していた訳で、日本が輝きを放っていた時代と言っても過言ではないだろう。

※牛痘種痘法
牛のかかる痘瘡(牛痘)に感染した者が、天然痘に対して免疫を持つことに気づいたことから開発された方法で、牛痘に感染した牛から取り出したウィルス(痘苗)を人間に接種することで、免疫を作り出すもの。
参考サイト 江川邸

Ogatakoan
緒方洪庵 肖像
1810年、備中・足守藩士の子として生まれる。
幼少時代に天然痘を患い、それ以降体弱くなったため武士の道を捨て蘭学を学ぶことを決意。蘭学を学ぶ過程でオランダ人から医術を学び、医師を生業とする道を選ぶ。そして人生を天然痘予防のために尽力するのである。

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今夜の風林火山 川中島へ!!

私、大河ドラマが大好きで毎年楽しみしているのだが、最近はガッカリさせられる作品が多く(「利家とまつ」「武蔵」「義経」など)出来るだけ期待しないようにしてきた。
そんな中で昨年の「功名が辻」そして今年の「風林火山」は秀逸な作品として評価したい。特に「風林火山」は近年稀にみる名作であり、私の中で最高傑作である「徳川葵三代」と同じぐらい高い評価を与えたい。

その風林火山だが、今夜放送分からついに川中島の戦いに突入する。
主人公の山本勘助が「啄木鳥戦法」で上杉軍を翻弄しようとするも見破られて両軍が激突する第四次川中島の戦いだ。
演じている役者さんがとても良い演技をするので、戦いのシーンもとても期待しているが、特に上杉正虎(謙信)を演じるGacktさんの演技は素晴らしく、あの妖しい雰囲気は今まで見たことのない謙信なので驚きを禁じえない。まさに毘沙門天の化身と呼ぶにふさわしいだろう。
また、謙信演じるGacktさんのセリフで

運は天にあり。
鎧は胸にあり。
手柄は足にあり。
何時も敵を我が掌中に入れて合戦すべし。
死なんと戦へば生き、生きんと戦へば必ず死するものなり。

運は一定にあらず、時の次第と思うは間違いなり。
武士なれば、われ進むべき道はこれ他なしと、自らに運を定めるべし。


と言うものがあり、このシーンを見ると胸躍る気持ちになってしまう私である。
youtubeにアップされていたので貼り付けておこう。

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忠義に生きた会津武士

会津藩と言えば、誰もが存じているように、戊辰戦争において最後まで新政府軍と戦った親藩である。そのアイデンティティは「幕府への忠義」であった。
藩祖・保科正之は、2代将軍秀忠が一度だけした浮気で産まれた子で、正室お江の方にバレるのを畏れて小藩の保科家へ養子に出されていたが、3代将軍家光の治世になると、唯一の弟(駿河大納言忠長は野心家であったため家光により切腹させられている。)として重用されるようになり、4代将軍家綱の後見職を託された。
自分を登用してくれた家光に対する感謝の念や、熱心に学んでいた朱子学の影響なのか正之の幕府に対する忠誠心はただならぬ物であり、会津藩の憲法とも言うべき「家訓(かきん)十五条」の一文には幕府への絶対忠誠を謳っている。さらにその中で幕府に対して不忠の藩主は自分の子孫ではないので、藩主の座から下ろして構わないとまで言っているのだ。
この家訓十五条が後世の会津藩藩主そして会津武士に受け継がれ、やがて幕末動乱期を迎えるのである。

徳川家康は、幕府存続のために将軍を継ぐ家は将軍家以外に「尾張・紀州・水戸」の徳川家に限定した。これは御三家と呼ばれ、家康の晩年に産まれた九・十・十一男が興した家である。本来ならこの三家が幕府存続のため戦うのが筋であろうが、御三家は然したる抵抗もせず新政府軍の軍門に下ってしまった。最後まで抵抗したのは、旗本たち(彰義隊や榎本ら海軍)とこの会津藩である。
話が長くなったが、この新政府軍との戦いにおいて、会津藩がどう戦っていったのかを「その時歴史が動いた」で取り上げたので、以下その映像をご覧頂きたい。


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NHK美の壷(花火鑑賞のツボ)

夏の風物詩、花火。
実は私、そんなに花火が好きではない。
「うるさい・煙い・混雑する」
そんな理由から好きではないのだ。(自宅の近くで毎年大規模な花火大会が催されているので、それがトラウマとなっている訳でして)

個人的な話はいいとして、先週の美の壷
「花火鑑賞のツボ」
がテーマ。
花火がそんなに好きではない私だが、その歴史や風習については知っていても損はないかと思い、チャンネルを合わせた。それにこの番組が好きだからついつい見てしまうのである。

まず、花火を日本で初めて鑑賞した人物は家康と言う。
「おぉいきなり江戸ネタか。」
と掴みはOK。そう、花火が日本にもたらされたのは、そんな大昔ではないだ。

庶民が花火を楽しむようになったのは18世紀の初め、当時は花火の色は単一色であり、暗めの橙色であったと言う。木炭を原料とする火薬が燃える際に発色する色がこの色であるためだ。
今のように多くの色が用いられるようになったのは明治以降のことである。なぜならマッチの原料である
「塩素酸カリウム」
が輸入され、それによって多くの金属化合物が燃やせるようになり、鮮やかな色が出るようになったである。文明開化の波が花火にも革新をもたらしたのであった。

このように多くの色を用いることが可能になったので、花火の形もレパートリーが広がった訳だ。
また、打ち上げる花火玉に敷き詰められた火薬(通称:星)の配置により形も職人により様々なものが作られるのである。
花火は職人によってまだ進化の過程で、これからも夏の夜を彩ってくれることであろう。
私もあの煙と混雑さえなければトラウマはなかったのに・・・。



去年小学校時代からの友人と久しぶりに鑑賞した地元の花火の動画。

※江戸ブログにおいて2007年8月11日に投稿した記事です

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NHK美の壷(五重塔鑑賞のツボ)

NHKで毎週金曜日に放送されている美の壷。
オシャレかつ格式があり、実に雰囲気の良い番組である。
美の壷は、元々歴史好きでも専ら政治史オンリーだった私に、伝統ある美について興味を持たせてくれた番組だ。そして番組に挿入されるジャズの選曲も非常に素晴らしい。
そんな訳で毎週楽しみにしている番組なのだ。

ところで、昨夜の美の壷は「五重塔鑑賞のツボ」で、全国に数多ある五重塔を紹介しながら鑑賞のツボを指南してゆく内容であった。
番組の最初にナビゲーターの谷啓さんが訪れた池上本門寺五重塔だが、実は個人的に思い入れのある場所で・・・。3年前まではあの近くが私の週末における居場所(隠れ家?)だったので、暇な時は本門寺境内を散歩コースと歩いたものだった。
この本門寺五重塔は徳川幕府2代将軍秀忠の乳母某が寄進したと伝えられている。乳母某は秀忠を襲った病気(疱瘡)が願掛けによって平癒したことに感謝し、お礼と言うことで本門寺へ五重塔を寄進したとのこと。詳しくは本門寺HPで。

さて、番組の内容に話を移してゆこう。
今回も印象に残った鑑賞のツボを取り上げてゆきたい。
前述したように、日本には数多くの五重塔が建立されている。それらは高さ・幅・軒のデザイン・建築素材などの違いで独特の存在感を表しているが、実はそれ以外に最も重要な違いがあると言う。それが
「逓減率」
塔の逓減率とは、上に行くほどすぼまってゆくことを指している。その逓減率の割合により塔のプロポーションも様々な形で表現される訳だ。
例えば法隆寺五重塔の逓減率は0.5。軒は下に行くほど大きく張り出し、どっしりとした安定感を持った塔である。
それと比較して京都醍醐寺の五重塔の逓減率は、0.61。この逓減率は安定感がバツグンの数値で、見た目のスマートさを非常に感じさせる。
このように、塔のプロポーションが逓減率で決まってくると言う話は大変興味深いものであった。
今度、五重塔を見るときは、この逓減率を意識して観てみると良いかもしれない。
美の壷HP

※江戸ブログにおいて2007年7月7日に投稿した記事です

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NHK美の壷(江戸指し物鑑賞のツボ)

指し物って聞いて

「あぁ名前は聞いたことあるけど、それって何だっけ?」

と考えてしまう方が多いと思う。
おそらく、指し物は日本に住まわれている方々の家にはひとつふたつあると思うが、ちょっと探してみてほしい。

では江戸指し物って一体なんだろうか?

江戸時代初期、幕府は多くの職人を全国から江戸へ呼び寄せ、大工町・鍛冶町・紺屋町などの職人町をつくってきたのは有名な話である。
中期になると、そのうちの大工職たちの仕事が細分化されてゆき、得意な分野で活動を始めた。その一つが指物師で、彼ら製作した指し物は

江戸指し物

と呼ばれ、名前の由来となっている。
では、話を番組の内容に進めてゆきたい。

指し物とは 製作過程で釘を使わず、接続部分に木を差し込んで作る木製製品(家具や調度品など)のことを言う。
木製であるから、当然木目の美しさを引き出すことが大事になってくる訳で、素晴らしい作品づくりにも欠かせない要素になる。
そんな指し物の世界で最も高級な素材と言われているのが

島桑

である。これは伊豆諸島の一部でしかとれない貴重な桑であり、多くの名品の材料として使われてきた。
島桑は、海から吹き付ける雨風に耐えてきたことで、しっかりと木目が詰まっていて、指し物の素材としては申し分ない言われている。
また島桑の木目は、ムクの葉で磨き上げると黄色の光沢が生まれる。とても木で製作された作品とは思えない美しさだ。そして、この島桑で製作された指し物は、年月を重ねると今度は渋い黒みを帯び、威厳に満ち溢れた作品へ変貌してゆく。

生まれたばかりの時は美しく輝きを放ち、年月を重ねると威厳ある渋さで存在感を示す。
島桑で作られた作品は、まるで生き物のようであった。

美の壷では、さらに詳しく放送されていたが、私はどうも素材の話に関心があったので、その部分のみ紹介した。
詳しく知りたい方はこちらのページへアクセスして頂きたい。
美の壷

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黒田如水(NHK「その時歴史が動いた」から-天下は我が掌中にあり-)

黒田如水と言えば秀吉の天下取りに多大な貢献をした策士として有名である。戦国時代の歴史が好きな人であれば、如水こそが戦国最強の軍師であると言うであろう。また、ダウンタウンの松本人志も如水を非常に尊敬しているのは有名な話である。

今回は江戸時代の話とは言えるか微妙であるが、黒田如水が関ヶ原の合戦に乗じて自らが天下を掠め取ろうとした計画について、以前NHKで放送された「その時歴史が動いた」の映像ととも紹介してゆく。

黒田如水の経歴はここでは省略する。多くの人々から「黒田官兵衛」として知られていることは、今さら説明するまでもない。
その黒田官兵衛だが、天下統一直前であった秀吉にその野心を疑われたことがある。それが潔白であると証明するために官兵衛は家督を息子の長政に譲り、さらに「清らかな心で水の如し」と野心など毛頭ないと言う意味で如水と号したのであった。
黒田如水は秀吉に最も信頼されたがゆえに、最も畏れられたのである。

その如水だが、天下への野心がないなどと言うのは表面上だけで、実際は虎視眈々と機会をうかがっていたと近年の研究で証明されている。それが今回紹介する動画で詳しく述べられているのでご覧頂きたい。

ちなみに如水の天下掌握のための計画とは

1.関ヶ原の合戦で手薄になった自らの拠点である九州地方全土を、戦乱の合間に乗じて掌握する。
2.九州掌握により集めた兵員で中国地方を上り、疲弊した関ヶ原の勝者(如水は家康と想定していた)と合戦し、勝利を目指す。

簡単に言うとこんな感じの計画であった。
さあ果たしてこの計画はどう進行していったのでしょうか?
動画(「その時歴史が動いた」ニコニコ動画から)をご覧下さい。


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NHK 美の壷(唐津焼鑑賞のツボ)

唐津焼を始め、日本各地(特に九州)に伝わる陶芸技術の多くは、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際に連行された半島・大陸の陶芸家たちによって伝えられたものだ。
例えば明治時代、ロシアのニコライ2世が鹿児島を訪れた際に薩摩焼を献上し、賞賛を受けた陶工「沈寿官」も朝鮮より連行された者の末裔である。(詳しくは司馬遼太郎著「故郷忘じがたく候」を一読して頂きたい)
こうした話は多くの方が知るところであるので、話を本題の「唐津焼のツボ」について進めていこう。

唐津焼は桃山時代後期から江戸時代かけ全国へ広がり、今なお多くの人々を魅了し続けている。その唐津焼の魅力の一つとして、番組内では長い年月を経て焼き物が「育てられている」ことを紹介している。例えばぐい呑みに一つにしても

「これで酒を飲めば、この硬い肌がトロトロになるんです。トロトロになったこの杯でお酒を飲めば気持ちも、そして骨までトロトロ になる。それが唐津の杯の魅力。」

と唐津焼コレクターは語る。これはぐい呑みでお酒を呑んだ際、そのお酒を手に取り、その手でぐい呑みを磨いてゆくことを言っている。そしてそれを400年繰り返してきた唐津焼のぐい呑みは、驚くほど光沢を放ち、長い年月育ってきたことをその姿で物語っているだ。
それが焼き物を育てると言うことである。

最後に、これは前回の江戸循環型社会の話にも通じることであるが、唐津焼においても江戸後期に「呼び継ぎ」と呼ばれる技法が生まれ、焼き物を育てる過程として用いられるようになった。
呼び継ぎとは、異なる器の陶片を継いで一つの作品にすることを言う。それは壊れてしまった唐津焼を何とか残してゆきたいと思う愛好家たちが編み出した技法なのだ。
また、継の部分に金を施すと言うのだから、作品に対する愛情もそこでうかがい知ることが出来る。

こうして唐津焼は、長い年月かけて名品と呼ばれる焼き物に育ってゆくのである。

美の壷→HP

※江戸ブログにおいて2007年6月16日に投稿した記事です

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NHK 美の壷(金魚鑑賞のツボ)

もうだいぶ前のことになるが、NHKの人気番組「美の壷」で金魚鑑賞のツボを取り上げていたことがある。
金魚と言えば、祭りなどの金魚すくいの水槽で、ところ狭しと泳いでいるもの程度しか私にはイメージが湧かないのだが、実際はもっと多くの品種が存在し、日本における金魚の品種改良の歴史は室町時代から続いていたと言う。

特に江戸時代には武士たちの手によって多くの金魚が改良されてきた。
尾張藩の地金、土佐藩の土佐錦などはその代表例と言われている。
そして風流大名として有名な松江藩主・松平不昧公は、綺麗さびの精神を説き、それに基づいた金魚の改良を命じる。そして綺麗さびを表現する形で出来上がった金魚がナンキンと呼ばれる品種であった。

ナンキンは、紅で彩られた口元と丸い体形、そして色合は美しい白銀であり、生きた芸術と呼ぶにふさわしいものである。
このナンキンを作り上げる過程は、丁寧かつ繊細である。夏は金魚の色変わりの時期である。その時期に体を痛めないようにしながら、梅酢を金魚の体へおいてゆく。すると、次第にその部分だけ赤みがぬけてゆき、硬くひきしまった白銀へと変わってゆくのである。その様子を番組で観ていたときは思わず息をのんでしまった。
まさにたかが金魚、されど金魚である。素晴らしい。

この美の壷と言う番組は、日常の中で何気なく存在しているものの美にスポットを当て、非常に丁寧かつ分かりやすく説明している。
個人的にオススメの番組だ。

美の壷→HP

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2009年NHK大河ドラマの主役は直江兼続

ちょっと驚いたのだが、今日のサンケイスポーツのサイトに「2009年の大河の主役は直江兼続」と載っていた。「えっ!兼続!?兼続が主役なの?。」と言う心境だ。ただ石田光成&大谷吉継コンビが好きな私としては彼らの盟友である兼続には好感を抱いている。
まずはサンケイの記事を紹介しよう。

NHKは26日、平成21年放送の大河ドラマが戦国武将、上杉景勝の家臣、直江兼続(なおえ・かねつぐ、1560-1619年)が主人公の「天地人(てんちじん)」に決まったと発表した。
原作は火坂雅志さんの同名小説で、放送中の連続テレビ小説「どんど晴れ」を手がける小松江里子さん(45)が脚本を担当する。
兼続は、少年時代に上杉謙信の薫陶を受け、義の精神を受け継ぎ、景勝に仕えた。その人間性と才気から、豊臣秀吉に家臣に請われ、伊達政宗にはライバル視され、徳川家康は時代になびかない兼続の義の精神を恐れたといわれる。また、戦国の世にあって、兜((かぶと)に『愛』の文字を掲げた異色の武将でもあった。
「義を重んじ背筋を伸ばし生きる姿は、今の日本人に何が必要かを教えてくれるのではないか」と内藤愼介チーフ・プロデューサー。
小松さんは「下克上の時代に“愛”を掲げた人物に興味を持った。今までにない戦国ヒーローを描きたい」と語った。

兼続は秀吉から気に入られて上杉の陪臣なのに30万石をあてがわれ、関ヶ原直前には家康に弾劾状を叩きつけ上杉攻めのきっかけを作った人物である。たかが陪臣、されど陪臣の人物なのだ。
ただ1年を通じて描けるだけの人物なのかは不安である。出来ることなら「保科正之公」をやってほしい(個人的な願望です。)
ところで兼続を演じるるなら誰がいいのだろうか?
私としてはDJOZMAなんか良いかも。権力(NHK)になびかない人物であるし、バッチリかな。いやいや、やはり俳優さん、そう伊原剛さんみたいな硬派な俳優さんもいいかな。
とにかく配役の発表が楽しみだ。

Kanetugu
愛の兜を被ったマンガ「花の慶次」での直江兼続。まるで北斗の拳のような描かれ方についつい笑ってしまうが、実は私、この「花の慶次」が大好きだった。とっても読み応えがあるのでオススメ。

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名物番組ついに最終回

バブル崩壊から平成不況へと突入した1990年代。この時代のサラリーマンは自分たちのアイデンテティを見失い、意気消沈していた感がありました。そんな元気のなかった日本に活力を与えようと放送が始まったのが今夜最終回を迎える「プロジェクトX挑戦者たち」です。
最近は色々と問題の放送などがあり評判も落ちていましたが、この番組に勇気づけられた方は少なくなかったはずです。そして日本経済が息を吹き返し、景気回復の軌道に乗ったと言われ出した本年の暮れにその役目を終えたかのように最終回を迎えています。
今この時、私は最終回を見ているのですが、過去の放送のダイジェストを見て感動が再び蘇ってきます。そしてそれら過去の放送で最も印象に残っているのは南極観測隊のプロジェクトです。
この話は観測隊員がどのように南極で越冬したのか?と言うことにスポットを当てたもので、その中で観測の責任者として活躍した西堀栄三郎の言葉には深く感銘を受けました。
南極で厳しい環境にさらされて意気消沈している隊員たちに対して
やる前から駄目だと諦める奴は、一番つまらん人間だ。

一番大事なのは、まずやってみる勇気なのだ。失敗したら、またやり直せばいい。
など苦境になると人間が失いかける「チャレンジ・スピリット」を奮い立たせたのです。
西堀氏は帰還後「石橋を叩けば渡れない」と言う著書を発表します。
西堀氏は著書で
石橋を完全に叩いてから渡るか渡らんか決心しようなんて思っていたら、おそらく永久に石橋は渡らんことになるだろうと思います。
と述べています。
この言葉は私のような慎重な人間と言うか臆病な人間に向けられたものなのでしょう。
私もお粗末ながら「日本史探求」と言うブログを運営している人間です。この西堀氏の述べた言葉を肝に銘じ、通説などに囚われず、探求心を前面に出したブログを作っていきたいと思います。
最後に沢山の感動を与えてくれたプロジェクトXにありがとうと言いたいです。

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