司馬遼太郎 肥前の妖怪
今、司馬遼太郎の作品「歳月」を読んでいる。この作品は明治初期の司法卿江藤新平の人生を描いた作品だ。ところで江藤の出身藩である佐賀藩だが、幕末期においても尚、藩士に志士活動を許さず、葉隠という保守的な武士道を強要し、時勢を傍観していた。それが原因で維新回天に乗り遅れ、薩摩と長州に維新の主導権を握られてしまう。そのことを口惜しく思う江藤は焦るが、知恵をしぼり肥前佐賀藩の枠を越え自らの裁量で動ける状況をどうにかこうにかつくりつつある。というところまで歳月を読み進めている。
”幕末期においても尚、藩士に志士活動を許さず、葉隠という保守的な武士道を強要し、時勢を傍観していた。”
と記したが、これには訳がある。幕末期、佐賀藩の隠居鍋島閑叟が葉隠以外にもこんな思想をもっていたからだ。
「勤王亡国、佐幕亡国」
尊王攘夷思想は非現実的であり、国を滅ぼす。また幕府という老朽化した政治機構が続けば帝国主義により侵略をうけ、日本全土が欧米列強の掠奪に遭うのは確実である。だから勤王も佐幕も亡国なのだ。
と司馬さんは小説「肥前の妖怪」で鍋島閑叟に言わせている。史実において閑叟がそういったたぐいのことを言ったのかは分からないが、事実、佐賀藩が幕末期にとった行動をみるとそういう閑叟の思想によって動いていたとしか考えられない。さらに閑叟はあまりにも天才すぎた。長州の藩主親子のように「そうせい」と言って志士たちを活発に働かせるような軽挙はせず、というよりも、自身の才があまりにも長けているがゆえに志士など肥前にはいらず、自身の思惑によって動けばいいと考えていたのだろう。
佐賀藩の背骨ともいえる葉隠をこの小説の中で閑叟は世にあわずと批判している。なぜなら葉隠の侍は武士でなく亡霊であるというのだ。要は200年近く前の装備で戦えるのか?それでも武士と呼べるのか?と痛烈に批判しているのだ。であるから近代兵器と近代兵制により戦える武士を育てようと試みた訳である。
佐賀藩は保守的な土壌であるにもかかわらず、閑叟という天才が独裁者であったことで、装備、兵制、人材は維新回天の時期に最強を誇っていた。最強であるからこそ日和見であったにもかかわらず薩長土”肥”に加わることができたのであろう。
明治期、肥前出身の英傑たちは薩摩・長州の志士あがりの策謀により淘汰されてしまう。志士活動歴が少ない彼らの不幸であろう。この不幸は天才でありながら、残念なことに武家貴族であった閑叟の日和見によって生じた被害であり、閑叟が戦国気質の大名であったならば佐賀藩士たちは維新回天の主役になれたのかもしれない。
最後に、思い出したこと。かなり前に私が江藤について記事をアップしているので、よかったら読んで下さい。
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