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2010/11/12

御巣鷹の尾根

 先月下旬、学生時代の友人と共に御巣鷹の尾根に登ってきた。
 ”あの”御巣鷹の尾根である。
 1985年8月12日、日本航空123便羽田発伊丹行きが30分近く迷走の末、御巣鷹の尾根に墜落した。墜落により落命した方の数は520人、大量輸送時代に起きた悲劇である。
 墜落から一夜明け、テレビのブラウン管には原形をとどめていない123便の姿が映し出されていた。当時11歳だった私だが、その姿はいまだに残像として脳裏から離れることはない。
 墜落原因は後部圧力隔壁破損による尾翼の欠損と油圧系統の切断により操縦不能に陥ったためだと言われている。

 話を登山に戻したい。
 登山に備え、前日の夜から麓の上野村に宿泊した。宿は事故当時、朝日新聞の記者たちが前線基地としたI旅館である。
 I旅館で一泊し、翌朝9時過ぎに尾根に向かった。車では御巣鷹の尾根まで残り数百メートルの地点までゆける。ただそこから先は急峻を登らなければならない。
 30代の男が二人して息を上げながら急峻を登ること30分、目の前に墓標が現れた。さらに登ると墓標の本数が増えてゆく。尾根が墓標に覆われている感じがした。悲しい光景であった。
 急峻を登りきり視界が開けると『招魂の碑』が見えてきた。ここで空の安全を祈願し手を合わせる。更に登ると高浜機長、佐々木副操縦士、福田機関士の墓石が見えてきた。操縦不能の123便をどうにか羽田に着陸させようとした3人の墓石である。
 彼らを誰が責められようか。操縦不能の機を30分も飛行させたことは神業と言っても過言ではない。
 佐々木副操縦士は享年39歳、今の私と3歳しか違わない。佐々木さんの墓石の前で手を合わせる。その時私の目には熱いものがこみあげた。佐々木さんの苦闘をこのボイスレコーダーで聞いているから、それをここで思い出してしまった・・・。
 この尾根には番人がいた。番人は私たちが何を聞きたいかを察しているかのようで、色々と教えてくれた。そして123便が飛んできた方向を指でさし、私たちに尾根に激突した123便の顛末を話してくれた。番人も事故の翌朝にここへ駆けつけたのだろうか?今となっては知る由もない。
御巣鷹の尾根

 この登山で唯一撮影したのが上の画像である。
 123便が画像の方角からこの尾根に向かってきた。その時速は260ノットというから新幹線よりもさらに早い速度である。
 260ノットで尾根に激突した直後に123便の後部だけは折れ、山腹をすべり落ちたという。
生存者の証言では激突直後に数十人の乗客が生存していた。救出作業が事故から2〜3時間後におこなれていれば生存者は4人以上であったはずだ。機体後部から発見されたある女性の遺族は、遺体が綺麗であり、おそらくは事故後数時間は生きていたと思うので救出が翌朝になったことが悔やまれてならないとコメントしている。

 御巣鷹の尾根をあとにする時、私の友人は言葉少なくなっていた。そして
『俺たち、この山に登ってよかったのかな・・・。』
と呟いた。
 ブラウン管を通じてだが、リアルタイムで事故を知る私と友人には衝撃的な登山であった。

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