司馬遼太郎『街道をゆく2 韓のくに紀行』
現在手元にある『街道をゆく』シリーズは、私が中学生であった20年前に叔父から頂いたものである。
自身でいうのもおこがましいが、中学時代の私は歴史科目を得意としていた。いや歴史”だけは”と表現したほうが正しいかもしれない。
そんな私に叔父が、『街道をゆく』を読み歴史に関して造詣を深めてもらいたいと、シリーズ25冊を贈ってくれた。しかし当時の私にはあまりにも難しい内容であり、結局は読まずじまいで書棚に18年もの間眠ることになる。
ところが一昨年前のある日、訳あって職が無い時期だった私は特にやることもなかったので、書棚の『街道をゆく』を手に取り読み始めた。幸いにして中学生の時よりも歴史に関する知識は向上しており、当時のように難渋することはなく、無作為に取り出した1冊を、そう時間をかけずに読み終えた。
出版されたのが30年以上前の作品でありながら、その内容には新鮮さがあり、歴史と風土の関連性など細かく突き詰めていて、実に素晴らしい作品であった。
さて、その『街道をゆく』に話を移したい。
今回読んだのは『街道をゆく2 韓のくに紀行』であった。この作品は、司馬氏が南鮮(新羅・百済・加羅)を旅し、そこでの風景を歴史とリンクして随想しているものである。
司馬氏がこの作品の中でしきりに持ち出す思想が『朱子学』であった。朱子学は朝鮮民族にとっては国教ともいえる思想そであり、現在においてもその思考や風習に大きな影響を与えている。
朝鮮の歩んだ歴史や、朝鮮民族の行動原理など観る場合、この朱子学を抜きにしては語れない。端的に言えば、朱子学の根源には忠孝という考え方があり、子は親を敬う精神を何よりも大事にする。また”家族”の結びつきも日本人のそれより強く、10親等までの婚姻は近親婚という概念すらあるという。
李氏朝鮮は、その朱子学を統治上の基盤として民族に徹底させた。前述した親と子の概念を君主と民衆に定義し、家族を国家と定義したのだ。ゆえに現在でも朝鮮民族はあらゆる場面で観念的な表情を見せる。
観念的であることは私自身決して悪いことではないと思うし、愛国心を育むためには、観念というものが必要であろう。しかし観念は進歩を阻み、その性格を固陋なものにしてしまう。ゆえに朝鮮民族は日本の統治下に置かれたり、または現在の北朝鮮のような恫喝一辺倒の状態を捨てることができない。
司馬氏はこの著書の中で、怨念が観念となり、観念が正義となると述べている。殊、朝鮮民族にはその傾向が強く、日本人に対する現在の彼らが見せる表情はまさにそれではないだろうか。
今まで、朝鮮民族の固陋さを”負”という部分で述べてきた。しかし彼らにも”正”の部分はもちろんある。特に彼らが私たちに伝えた多くの文化は、現在の日本においてどれだけ民族性の形成のに役立ったことであろうか。特に彼らが伝えた仏教に関しては、日本人の原理ともいえる”和を以って尊ぶとなす”にどれほど貢献したか計り知れない。
また、白村江の戦いの後、日本に移住した百済人亡命者たちの貢献は今さら語る必要もないであろう。
この『韓のくに紀行』を通じて、朝鮮民族の性格や、日本との関係の多くを知ることができた。”目から鱗が落ちる”とは、このことを言うのかもしれない。
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