島津久光の凄さ
半ばホームドラマのような大河ドラマ篤姫であるが、前回放送を観ていて今までの主観を考え直すようなシーンに見入ってしまった。それは島津久光と篤姫との会談のシーン。
元々西郷に対して敬意を抱いている私にとっての久光とは復古主義者の代表みたいな存在であり、寺田屋事件の経緯などからも冷徹な国父様というイメージが強かった。しかし同郷同族の篤姫に対しても自らの信念を貫き通し、「挙国一致」という思想を兄から継承した気概は称讃に値する。また今まで気付かなかったことがお恥ずかしい話なのだが、精忠組に代表される藩下級武士を積極的に登用し、彼らに権限を与え、幕末の動乱期において大国薩摩藩を操作した政治力は実に見事である。
土佐の山内容堂が有能な郷士を重用しなかったがために時勢に乗り遅れたのに比して久光は小松帯刀のような家老格から大久保利通のような成り上がりまで身分にこだわることなく登用した器は時代が時代なら一国の統治者に成り得た可能性もあるだろう。
もし山内容堂が対外交渉は坂本龍馬、藩内郷士の統率を武市瑞山、軍事戦略を板垣退助というように権限を与え、久光のように大局的な視点で幕末の時勢を駆け抜けていたならば、主役は土佐藩であったかもしれない。しかし悲しいことに容堂は徹底した佐幕派であり、土佐冊封時から続く藩内の身分制度に執着したあまり薩長の動きについてゆけなかった。
こうして久光と容堂を比較しても久光の手腕が秀でていたことが分かる。有馬だろうが篤姫だろうが己の進む道を妨げる奴は容赦せず、かといって能力がある奴には絶大な権限を与える。そんな島津久光には畏敬の念を抱く。
今後も島津久光については徳川慶喜同様色々と調べてゆきたい。
お由羅の子として生まれた故に後見人就任当初は斉彬派からの支持がなかった久光。しかし兄の遺志を継ぐことで藩内の志士たちを見事に統制したバランス感覚は素晴らしい。
| 固定リンク | コメント (0) | トラックバック (0)


















最近のコメント