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2008年9月の11件の記事

島津久光の凄さ

 半ばホームドラマのような大河ドラマ篤姫であるが、前回放送を観ていて今までの主観を考え直すようなシーンに見入ってしまった。それは島津久光と篤姫との会談のシーン。
 元々西郷に対して敬意を抱いている私にとっての久光とは復古主義者の代表みたいな存在であり、寺田屋事件の経緯などからも冷徹な国父様というイメージが強かった。しかし同郷同族の篤姫に対しても自らの信念を貫き通し、「挙国一致」という思想を兄から継承した気概は称讃に値する。また今まで気付かなかったことがお恥ずかしい話なのだが、精忠組に代表される藩下級武士を積極的に登用し、彼らに権限を与え、幕末の動乱期において大国薩摩藩を操作した政治力は実に見事である。
 土佐の山内容堂が有能な郷士を重用しなかったがために時勢に乗り遅れたのに比して久光は小松帯刀のような家老格から大久保利通のような成り上がりまで身分にこだわることなく登用した器は時代が時代なら一国の統治者に成り得た可能性もあるだろう。
 もし山内容堂が対外交渉は坂本龍馬、藩内郷士の統率を武市瑞山、軍事戦略を板垣退助というように権限を与え、久光のように大局的な視点で幕末の時勢を駆け抜けていたならば、主役は土佐藩であったかもしれない。しかし悲しいことに容堂は徹底した佐幕派であり、土佐冊封時から続く藩内の身分制度に執着したあまり薩長の動きについてゆけなかった。
 こうして久光と容堂を比較しても久光の手腕が秀でていたことが分かる。有馬だろうが篤姫だろうが己の進む道を妨げる奴は容赦せず、かといって能力がある奴には絶大な権限を与える。そんな島津久光には畏敬の念を抱く。
 今後も島津久光については徳川慶喜同様色々と調べてゆきたい。
Hisamitu
お由羅の子として生まれた故に後見人就任当初は斉彬派からの支持がなかった久光。しかし兄の遺志を継ぐことで藩内の志士たちを見事に統制したバランス感覚は素晴らしい。

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煙草はシンボル

 私は愛煙家だ。とはいっても禁煙はしたい。煙草の害は重々承知している。でも12年間吸い続けている。途中何度も禁煙はしたが、いつも挫折してしまう己がもどかしい。
 もどかしい以前に神奈川県では全面禁煙の方向で条例を定めようとしている。私も住民である以上禁煙の流れに従うつもりだ。それを機に禁煙するという口実もできるし、煙草の値段も上ってしまうと貰い煙草もしづらくなる。このような世間の流れが良い傾向なのか悪い傾向なのかは歴史が証明してくれるであろう。

 ところで煙草というのは不思議な嗜好品である。麻薬と世間ではよく言われているが、それは間違いない。ただ麻薬で片付けてしまう前に煙草は人間を不思議に魅了する。煙草を手にしている人間を魅力的に魅せる不思議な力がある。
 嫌煙家の方々にこのような話をしたらお叱りを受けるだろうし、それは現実的に正論であることは間違いない。ただ、理屈では説明できない不思議な魅力があるのだ。
 その魅力を発しているのは今は亡き司馬遼太郎氏である。彼が手に煙草挟み、物思いに耽っている姿は私を魅了する。彼の頭脳から溢れ出る歴史的感性と手にしている煙草は切り離すことの出来ないイメージである。
 司馬氏の書斎には常に煙草が置かれていたと聞く。それは彼をイメージする上で必要不可欠なものであり、亡くなった現在においても私の頭には強烈な印象を残している。
 煙草は人体に害を及ぼすことは間違いないであろうが、煙草がその人を印象付けるものになっているのも事実である。

 いつものように脈絡のない文章となってしまったが、煙草がこの世から無くなってしまう未来を想像すると寂しい限りということを結びとしたい。

Shiba
多くの文化人が愛した煙草。司馬遼太郎も煙草を愛した一人。

 

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日本史探求を振り返る 3

 過去の記事を読んでみると、意外と江戸時代の学者について取り上げてたりする。華岡青洲に伊能忠敬、そして二宮敬作、有名なようで日本人には忘れられている偉人たちだ。でも結局はこの方々がいなかったら江戸期において日本の文明水準は向上することはなかったと言っても大袈裟じゃないかもしれない。今でこそ麻酔の調合・地図作成・語学・医術は当然のように学ぶことができるが、鎖国時代の江戸期にあってはそれこそ試行錯誤の連続であっただろうし、オランダ語の書物だって訳すことが非常に困難であったはずだ。そんな逆境を乗り越えて偉業を達成した彼らこそもっと称えられてしかるべきだと思うが如何に。
 そんな偉人たちの中でも、私が心の底から「すげぇ」と思えるのが伊能忠敬だ。ゆかりの地である佐原では「チュウケイ先生」と呼ばれ今でも親しまれているという。
 つい先日だが、NHKのあるTV番組を見ていたら、この伊能忠敬を取り上げていた。仕事に行く前に少し見た程度なのだが、どうやら中学生向けのような番組であったらしい。私の知的水準は中学生レベルかもしれないので、私にとっては分かりやすい内容に仕上がっていたと思う。
 番組の中で、紹介されていた話だが、明治初期に英国海軍が日本沿岸の測量を実施し、途中まで作業を進めたのだが、その過程で手に入れた伊能図があまりにも完成度が高かったので、途中で測量を止めて伊能図を基に英国版日本地図を作成というのだ。当時の英国海軍は地図の作成において世界一の正確さを誇っていたのに、その彼らを驚嘆させた伊能図の存在は現在でも日本が世界に誇れる名品であることは間違いない。浮世絵や茶器、刀に鎧と日本が世界に誇る名品たちの中でも、伊能図はもっとも輝いていると私は信じている。

Inouzu1
これを五十の手習いで始めたってんだからすごい。

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薩摩兵児の末裔

 来年の大河ドラマ天地人のキャストについて、私個人の意見だが観る気が失せる配役であり残念で仕方がない。
 昨年放送された風林火山は、ゴンゾウの演技が素晴らしく、葵徳川三代以来の名作として高い評価のできる作品であった。今年の篤姫の配役は「?」であるが、放送時間になればチャンネルを合わせる気にさせてくれるので及第点は与えられる。主役の宮崎あおいさん(演出家との確執云々が言われているが・・・)の演技力は評価出来るし、島津斉彬・久光の配役もイメージに合っている。ただ、大久保一蔵と和宮はかなり厳しいと思うのだが、ご覧になられている方はどう思っているか少し聞いてみたいところだ。
 あっそうそう、天地人だが配役が謙信と景勝以外はどうも気に入らない。気に入らないから見ないんだけど、やはり歴史に名を遺した偉人には現代人が持つイメージってのがある訳で、ベストな配役で言えば伊達政宗=渡辺謙とか徳川家康=津川雅彦といった具合である。視聴者の持つイメージも崩さないような配役って重要なはずなんだけど、天地人はそれを無視しているとしか思えない。それとも視聴率的に篤姫以上を目指そうとしているため配役のイメージにこだわってはいられなかったのか?とりあえず配役についてはホームページで確認していただきたい。

 あぁタイトルから思いっきり話が逸れてしまったが、先日近代警察の父と呼ばれる川路利良についてググッていたら、とても興味深いサイトに辿り着いた。asahi.com鹿児島という朝日新聞のサイトなのだが、そこに薩摩のために尽くし偉人として崇められている薩摩兵児の末裔が紹介されていた。前述の川路利良や理不尽な幕命で木曽川の大規模治水工事の指揮を執った平田靱負、薩摩自顕流の使い手で人切り半次郎と京で恐れられた中村半次郎、西郷の懐刀村田新八、言わずと知れた倒幕の立役者大久保利通西郷隆盛などの末裔の方々が先祖に対するそれぞれの想いについて語っている。
 薩摩の偉人といえども、川路利良や大久保利通などは後年薩摩を討つ側に回ったため、つい最近までは鹿児島に銅像を建てることすら躊躇う空気があったようで、銅像は没してから大久保は101年(1979年)川路は120年(1990年)の歳月を経て鹿児島の地に建てられた。こんなごく最近まで建てることができなかったことを知り、逆に鹿児島の人々がどれだけ西郷を慕っているのかが少しだが理解できた気がする。
 このように色々な因縁やしがらみはあると思うが、今を生きる子孫が偉大なる先祖へどのような想いを抱いているのかをご覧になっていただければと思う次第である。

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戦国武将

 現代に生きる日本人の戦国好きは相当なものである。戦国時代を舞台としたドラマを製作すれば割と視聴率が良いし、家庭用ゲームなどでも戦国時代を扱っているものが多く人気も高い。争い(戦争や紛争)に直接関与することがほとんどなくなった現代日本人にとって戦国時代とは戦うという本能、いわゆる闘争心がくすぐられる時代なのかもしれない。また、そのような時代を知略・謀略・政略といった権謀を用いて戦い抜いた戦国武将を、自己や現代の為政者などに投影して人間性を分析することも好むのが特徴だ。それだけ戦国時代は今に生きる人々にとって良くも悪くも魅力的な時代であるのだろう。
 少々小難しい前述となったが、私が仕事の帰りに聴いているJ-WAVEの番組に「PLATOn」という番組がある。毎回あるテーマについてその分野に詳しい方々をゲストに呼び、それを哲学してゆこうという趣旨の番組なのだが、一昨日のテーマが戦国武将であったので、いつも以上に興味深く聞かせてもらった。今まで私が詳しく知ることのなかった後藤又兵衛の存在や、伊達男という呼び名の由来、安土城の秘密など日本史初心者の私には大変感心させられる内容であった。
 番組の中では好きな戦国武将についてリスナーからメールを募集したのだが、やはり信長の人気は劣れ知らずといった感じで、信長以外では伊達政宗、今川義元などの名も挙がった。また、稀有なリスナーからは山内一豊に一票あった。千代さんの内助の功が有名な一豊を再評価してほしいという願望かもしれないが。こうしたアンケートを通じて感じたことは、やはり戦国時代に生きた武将はド派手であればそれに比例して人気も上がるということであろう。信長しかり政宗しかり。派手さが戦意高揚にもつながると彼らは理解していたのかもしれない。
 話が番組から逸れるが、以前このブログでも「天下を取ってほしかった武将」というアンケートを実施したが、結果はこんな感じだった。

伊達政宗 7%
武田信玄 16%
上杉謙信 18%
北条氏康 6%
織田信長 26%
明智光秀 15%
毛利元就 6%
その他 6%

 ここでも信長の人気は凄い。因習や儀礼などは一切重んじず、合理的な手段を好み、かつそこに情などはない。私の苦手なタイプの人間ではあるが、日本人には自身の持ち合わせていない破天荒さと強情さが魅力的に映るのであろう。
 信長が嫌いな私ではあるが、いづれは司馬遼太郎の「国盗り物語」を読んで、斉藤道三の視点から信長像に触れてみようと思っている。
 戦国時代、実際はどのような時代であったのか真実を知りたい。

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忘却の世界史

 忘却などと大袈裟な表現をしたが、私の頭の中から学生時代に学んだ世界史の知識がことごとく消えてしまっている。正直なところ参った。
思いっきり自慢話になるが、高校時代の私は世界史のテストで90点以下の得点はなく、その上自ら数多くの書物を読み漁っていた。例えばロスチャイルド家の人々、チャーチル、そして毛沢東などなどの世界史に名を遺す人物に関連した書物などである。
 高校を卒業して公僕になった後3年間ぐらいまではケネディやヒトラー、スターリンなどに関連した書物を読んでいた記憶があるのだが、自分自身でもいつから日本史に鞍替えしたのかが思い出せない。いつの間にか日本史に熱中していた。
 記憶を辿ると95~96年に大河ドラマの吉宗や秀吉を夢中で見ていたからその前後かもしれない…。もしくは歴史系新書を読み始めたのは99年だからいずれかの時期に私の日本史熱中革命が起きたのだろう。

 というどうでもいい話(私にとっては不甲斐ない)を始めたのには理由があって、ここ数ヶ月の間、司馬遼太郎の小説を読む機会が増えた。その小説の中にはビスマルクやロベスピエール、エカテリーナ2世、ナポレオン3世といった人物が登場するのだが、詳しい業績がすぐに思い出せないのだ。しかもウィキペディアで調べても内容が半分程度しか理解できなく、何だか悔しい思いでいる。
 十数年前まで夢中になっていた世界史が、今の私では理解出来ない状況になっている。日本の歴史を知るには世界の歴史もリンクする必要がある訳で、忘れてしまったことが歯がゆい。
 かなり脈絡のない記事となってしまったが、少しづつでも世界史に触れて、かつての知識を取り戻してゆこう考えている次第だ。

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日本史探求を振り返る 2

 日本史探求を始めた当初、私なりに「とにかく日本史を幅広く取り上げてゆこう」という生真面目な使命感みたいなものに駆られ、古代から得意の江戸時代、そして明治の話題と拙いなりにも記事を次々アップしていった。何だか今読み返してみると恥ずかしかったりする訳だが、それが今に繋がっているのだから一時の恥として留めておきいたい。
 さて、今回の振り返るは江上波夫氏の騎馬民族征服王朝論について。
 私がこの話題を取り上げるきっかけとなったのは、友人が自身のブログで取り上げていたこれにトラックバックという聞き覚えのないものを送信したかっただけで、その他特に理由はなかった。実に稚拙な考えだが、トラックバック出来ることの喜びを味わいたいと、当時は色々なブログをサーフィンしたものだ。
 そんなことはどうでもいいが、今あらためて考えると、4世紀のヤマトにおいては、他の地域からの侵略による王朝交代があったとは考え難い。
 以前の記事でも述べたように、3世紀後半に造られた箸墓古墳が大規模あったということは、この時点では既に日本を統一する勢いのクニがヤマトに存在していたと考えられる。しかも魏志倭人伝に記されているようなクニの連合政権ではなく、もっと強大な力をもって広範囲を支配する国家である。
 もし、江上氏が唱える騎馬民族征服王朝論が現実に起こったのであれば、その騎馬民族は大規模な集団であり、しかも高度な文化を持ち合わせている必要がある。でなければ箸墓古墳のような大規模な建造物を造れる国家を倒せなだろうし、また後のヤマト王権につながる国家の基盤を構築することは出来ないであろう。
 今あらためて冷静に考えてみると、騎馬民族征服王朝論も当時に比べて懐疑的な視点で見ることができる。
 ヤマト王権成立の謎を解明するにはまだ時間がかかりそうだ。
 

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日本史探求を振り返る 1

 この3年数ヶ月、数多の記事をアップしてきたが、それらの記事を読み返し、再検証等々してゆこうかと思う。
 まずはこの日本史探求で一番最初にアップした記事の主人公・保科正之について、現在の私が思うところ述べてみたい。

 保科正之に関心を持ち始めたのは2000年に放送された「葵徳川三代」の影響によるところが大きい。何せ徳川家光に異母兄弟がいたことすらあのドラマを観るまで知らなかったのだから。
 保科正之については会津史研究の第一人者である中村彰彦氏がタイトルもそのもの「保科正之」という新書(中公新書)を出版していたので、当時早速購入したのだった。
 私は、中村氏が著した保科正之を夢中になって読み、すっかり保科正之教の信者の如くになっていった。彼(保科正之)の将軍後見職としての実績は実に見事であり、武断政治から文治政治への過渡期を柔軟な政治姿勢で切り抜いていった有能な政治家として心から尊敬の念を抱くようになった。
 現在、私のその気持ちは当時ほど熱いものではないが、彼に対して尊敬の気持ちは抱き続けている。

 また以前の記事でも取り上げたが、保科正之を主人公とした大河ドラマを実現させるため、会津と高遠の有志の方々が運動を始めた。織田信長や坂本龍馬といった「画になる漢」は常にドラマ化され日本人の中に英雄像が完成されているが、時代劇でもほとんど登場することのない保科正之が大河ドラマの主役として登場したらどんなに画期的で、どんなに素晴らしいことであろうか。
 メディアは戦国時代や幕末、または忠臣蔵、源平の合戦、太平記という定番ばかりをドラマ化している。そうでなければ視聴率が獲れないのは分からなくもないが、歴史好きな人々にとってはそれでは物足りないはず。なので是非2010年の大河ドラマは保科正之で進めてほしい。

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悍馬のような時勢

 小説「翔ぶが如く」の中で、大警視(後の警視総監)となる川路利良が、旧幕臣で明治政府の官僚となった沼間守一から欧州視察の帰途、船上で日本の時勢について聞かされる場面がある。沼間は幕末から現在(明治初頭)の時勢を「悍馬」に例えて川路に語る。それは著者・司馬遼太郎氏が自ら思い描くこの時期の形容を沼間という人物に語らせたのだろうが、その表現は実に見事であり、納得させられる。
 以下その箇所を小説から引用したので、読んで頂きたい。

 

 「時勢という悍馬には手綱がないのが特徴だ。時勢そのものがくたびれきってしまうまでその暴走をやめない。」

 「英雄ほど悍馬にのせられる。英雄とは時勢の悍馬の騎乗者のことをいう。西郷という人がそうであった。時勢の悍馬に騎り、270年の徳川幕府をあっというまにうち倒してしまった。幕府は時勢という悍馬に蹴散らされてたのであって、西郷その人に負けたのではない。が世間はそうは思わず、倒幕の大功を西郷に帰せしめた。このため維新後、西郷はとほうもなく巨大な像となり、ただ一個の人格をもって明治政府に拮抗できるという、史上類いない存在になった。(中略)悍馬は西郷の尻の下だけに居る。この巨人は役目(倒幕)の終わったはずの悍馬なのに、なおも騎りっぱなしになっているのだ。新政府に不満を持つ連中は、ことごとくその騎乗の西郷を仰いで第二の維新を願望する。」

※小説 翔ぶが如く(第一巻より引用)

 ペリー来航と安政の大獄が悍馬の出現時期とすれば、禁門の変や幕長戦争、戊辰戦争が絶頂期であり、明治初頭の体制変革が迷走期なのかもしれない。迷走する悍馬は安定を求める為政者たちにとっては迷惑至極の存在であるが、新政府の中の反主流派(明治6年の政変で下野した人々)や、不平士族にとっては強い騎乗者を再び戴き、駆け始めれば最強の味方となる。しかしその騎乗者をしても悍馬を操れなければ、味方どころか彼等さえ蹴り殺される危険がある訳だ。
 私の推測だが、西郷は明治初頭に起きた数々の政変や内乱は無謀であると理性では理解していたのだろう。ただ、自ら悍馬へ跨り反主流派や不平士族の首魁とならなければ事態の収拾は不可能という武士としての本能が西南戦争へと続く破滅への道を歩ませたと私は認識している。
 西南戦争で騎乗者を失い、疲れ果てた悍馬はその生命の最期を迎えたのかもしれない。

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政治の話

 もう3年前になるか、俗にいう郵政解散の時に、私は何というか物凄く気持ちの悪い「ポピュリズム」の空気を感じていた。メディア・民衆・為政者、それらが同じ方向に視線を向け、政治ではなく喜劇を愉しんでいる雰囲気を感じた。それが私にとって非常に不快でかつ居心地が悪く、早くこの気味の悪い雰囲気が消え去らないかという思いで一杯であった。
 時の民主党党首・岡田克也はそれに気づいていたのかどうか分からないが、喜劇を愉しむ民衆を成熟した大人として扱い、民衆からすれば「小難しい」セリフに終始している三流役者にしか映らなかった。ワンフレーズと対立構造で民衆とメディアを取り込んだ時の為政者は、良くも悪くも一流の役者であり、岡田克也は意図せずにその引き立て役に回ってしまった訳だ。
 私は当時の心境をこのブログでも綴っているが、未だにこの日本はあの時の反省はなされていない。しかも民主党までも政局マニアに成り下がり、共産党は相変わらず「我々だけは正しい」の一点張りである。メディアは自民党総裁選の勢いで総選挙へ云々ばかりを垂れ流し、自戒の念など皆無に等しい。
 野党にしても年金の国庫負担1/2へ引き上げる際の財源をどうすのか?道路特定財源の一般財源化後の道筋はどうなっているのか?彼らは抽象的な主張ばかりで、明確なビジョンがない。それに民主党の小沢一郎は政策より政局の政治家であるため、おそらくは政権奪取に成功してもこのような難問を解決する術は持ち合わせていないであろう。
 最後になるが、民約論の訳者・中江兆民は民権を「恩賜の民権」「回復の民権」という2つに分けた。前者は専制政府が権利を民衆に対して与えると言う意味で、後者は当然の権利として人民が持つ民権を専制政府から取り返す(回復)と言う意味だ。本当の意味での民主主義を実現するには、政権交代を度々実現することで民衆がイニシアティヴを握り、回復の民権を実現することが重要であるし、重要どろか実現しなければならないのだ。
 と色々と政治に関して述べてきたが、私はこの国が好きだから真剣に考えるのであって、政治の話をタブーにするつもりはない。
 我が国日本を愛するからこそ、厳しい視点で見てゆく。

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プロレタリア(過去と今)

 小林多喜二
 文学に疎い私にとって、彼のことは特高の拷問により死に至った若い文学者程度でしか認識していない。
 その小林多喜二が昭和初期に著した作品「蟹工船」が最近売り上げを伸ばしているという。さらにその影響で日本共産党の党員数が1万人も増えたということなのだが、その新聞記事を紹介しつつ自分なりの考えを稚拙ながらもの述べてゆこうと思う。

                   

共産党 「蟹工船」ブームで1万人新規入党
 
 小林多喜二の「蟹工船」ブームに乗る共産党の地方行脚に従来の支持層を超えて関心が集まっている。格差問題に対する取り組みなどが評価され、昨年9月以降の10カ月間で約1万人が新規に入党。次期衆院選をにらんだ幹部の演説会には1カ所平均約1300人が集まる。接点のなかった業界団体や保守系地方議員との対話も行われ、国政の長期低迷脱却への期待がふくらみ始めている。

 8月28日午後、京都市伏見区にある京都府トラック協会事務所。衆院京都1区から立候補予定の穀田恵二国対委員長が初めて訪ねた。協会は杉本守専務理事が出迎え、燃油高騰に苦しむ業界の現状や環境、行政改革で1時間にわたり意見交換した。協会の陳情先は自民、民主両党が中心で、協会員で構成する政治連盟は両党議員のパーティー券を購入してきた。初めて共産党を迎え入れた理由について杉本氏は「弱者への思いやりを感じる」と率直に話した。

 保守系地方議員との接触も増えた。市田忠義書記局長は7月上旬、奈良県吉野郡などの7市町村の首長・議員と会った。下市町の森本晴男議長は「私は与党議員だが、私たちの気持ちを一番代弁してくれるのは共産党だ」と明言した。

 共産党は志位和夫委員長が就任した00年11月時点で衆院20、参院23だった国会での議席が、現在は衆院9、参院7。国会の党首討論にも参加できない低迷状態にある。旧来の支持層の高齢化も顕著で、新たな支持層の獲得が急務だ。同党は次期衆院選で小選挙区候補擁立を140選挙区程度に絞り込み、比例代表に重点を移した。広範な支持獲得を目指した演説会はすでに47都道府県135カ所を数え、参加者も計約17万人に達した。集会の盛況が選挙結果に結びつくかは微妙だが、穀田氏は「何十年も接触がなかった人たちの視野を広げられた意味は大きい」と手応えを語る。

毎日新聞 2008年8月31日

 この毎日新聞の記事を読むと、タイトルの「共産党 「蟹工船」ブームで1万人新規入党」の経緯がほとんど触れられておらず、それよりも日本共産党の活動報告に終始していて、何とも脈絡のない記事だと呆れてしまう。蟹工船ブームだけで1万人も党員を獲得したのかといえばそれだけではなく、もっと複合的な要素が絡み合って入党者が増えたことを客観的に分析して記事にすべきではなければならないと私は思うのだが、他の方はどう思われるだろうか。
 とりあえず毎日の批判はここまでにして、蟹工船が書き上げれらた時期のプロレタリアと、現代のプロレタリアの定義は大きく違っているのではないだろうか?
 プロレタリアとは「賃金労働者」の意味を指すが、昭和初期のプロレタリアの定義は「反資本主義」であり、現代のプロレタリアは「反貧困」である。それを同一視して共産主義に期待を持つというのは少し無理があるのではないか。しかも蟹工船で描かれている日本はプロレタリアに対して徹底した弾圧を繰り返す封建的制度の国と表現され、ソ連は平等な社会を構築している幸多き国の如く表現されている。これは小林多喜二がソ連に対する無知であった可能性(共産主義=善)が考えられる。このような作品に感化されて日本共産党に入党する人間が本当に多くいるのであれば、それは共産主義を誤って認識しているとしか考えられない。
 とはいっても、私自身「反権力」的思考の持ち主であるので、日本共産党がこうした人気によって議席を増やすことには決して反対ではない。ただ、蟹工船を読み感化されただけで入党する人間が本当にいるなら、それはあまりにも稚拙だと言いたいだけだ。

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