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2005/04/04

五代友厚

西郷や大久保と言った薩摩藩の二大巨頭の影に隠れてしまってその名はあまり知られていないですが、薩摩藩出身の経済人として明治時代に名を馳せたのがこの五代友厚です。
五代は薩摩藩藩士の次男として薩摩城下に生まれます。若き日に藩命で長崎海軍伝習所に留学しますがここでの経験が彼のその後の功績に大きく関わってくるのです。1862年に上海に渡りますが、そこで30万ドルで売りに出されていた汽船を12万5千ドルまで値切って購入します。
薩英戦争の時、五代は上海で購入した天祐丸に乗船して英国艦隊に拿捕されますが、戦後この拿捕されたことに対し無実の疑いをかけられ脱藩をしてしまいます。一年後に疑いが晴れたため薩摩に帰藩し船奉行副役に任命されます。五代は薩英戦争で西洋との格差を痛感し、技術習得のための欧州留学生派遣を提案して認められます。そして五代自身も欧州を視察し、そこでの経済活動で数々の功績を上げたのです。
明治になり留学によって得た語学力や知識を高く評価され外国事務局権判事、大阪府判事を歴任しますが、明治2年に退官します。その後も大阪に住み、株式取引所や商法会議所の設立に尽力、晩年まで大阪の発展に貢献するのです。そして明治18年、50歳の若さでこの世を去りました。
もし漠然とこの五代友厚の名を記憶してる人はおそらく高校の授業の中で「北海道官有物払下げ事件」(五代の設立した関西貿易社に薩摩藩出身で五代の盟友の黒田清隆が官営の施設約1400万円相当の資産を39万円で払い下げた事件)の当事者として覚えていたはずです。しかしこの裏には大隈重信と三菱商会による連合との利権争いが絡んでいて、大隈が自分の息のかかった「郵便報知新聞」を使って大々的にネガティブキャンペーンを展開したので五代=悪人のようなイメージが定着してますが、実際は日本経済に寄与した偉大な薩摩隼人だったんですよ。

参考HP 私立PDD図書館

godai五代は近代大阪経済発展に寄与し大阪には銅像も建っている。

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コメント

最初に45才の若さで亡くなりました。に目が言って読む気にもなりませんでした。
ええかげんすぎるわ。

なおしておくよコノヤロウ。
http://www.youtube.com/watch?v=swurkVJsepI

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