六義園
まだ桜が満開ではないのに駒込で電車を乗り換えるついでで六義園に行ってきました。しだれ桜はまだ三部咲程度…満開の時は美しい姿を見せてくれますがまだはずかしいようで「もう少し待って」とのことでした(笑)
六義園については以前「柳沢吉保」の記事の中で少し触れましたが今回は入場券の裏の解説を元に話をしてみたいと思います。
六義園は1702年に完成しました。この六義園、吉保の文学的教養により作庭され、名前は古今和歌集の序文に見える六義にちなんでつけられたそうです。園内には八十八の名勝があり1706年には霊元上皇が園内名勝の中から十二境八景の20ヶ所を選び吉保に賜ったのです。
六義園は現在、国の特別名勝として文化財保護法に指定されています。
(六義園説明)
東京都立六義園入場券参考
六義とは風、賦、比、興、雅、頌という分類法を、紀貫之が転用した和歌の「六体」から由来し、庭園は和歌に詠まれた名勝の景観が八十八境として映し出されたものだそうです。と言っても私もむずかしくてよくわかりません。
(追記)
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六義園のしだれ桜。満開はまだ先ですな。
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コメント
六義園には行ったことがありませんが、きれいなところなのだろうなあ。と考えるけど。
どこにあるのだろう
投稿: ヨシ | 2005/04/01 15:28
ヨシさん、はじめましてm(--)m
六義園はJR駒込駅を出ますと案内図がありますので簡単に行けますよ。ところで「先史時代と私の生活」の土偶の写真いいですね。土偶ってかわいいですよね。
投稿: Misaki | 2005/04/01 15:39
関東で行ったことのあるところはあまりないのですが、六義園にだけはどうしても行きたくて、2007年の夏に行って、冷たいお薄をいただきました。
柳沢吉保の源氏研究には、竹島(このばあいは鬱陵島)一件が絡んでいて、話がややこしくなったのは、そもそも小野篁が、漢文での外交と、和歌の道のテレパシー通信の、二刀流を始めたからではないかと考えます。それで、因幡街道から宮本武蔵が出現するんですね。
しかし、江戸時代のことは、江戸の地理がまったくわからんので、手を付けられないで、困ってしまいました。
ず~っと悩んでいます。
投稿: 高塚タツ | 2009/02/22 07:14
高塚さん、おはようございます。
小野篁ときましたか!
百人一首と一人であり、遣唐副使でもある関係から漢文と和歌を使い分ける必要性があったのは興味深いところです。
そこから後世宮本武蔵の二刀流に流れてゆくあたりも面白いですね。
この六義園の記事は4年前にアップしたものです。私もそれ以来行ってはいないのですが、あと少しすれば枝垂桜が見ごろになるでしょう。
投稿: Mr.Misaki | 2009/02/22 09:08
わたくしのこの仮説に落ち着いて対応してくださるのは、Mr.Misakiさんが、たぶん初めてです。
安龍福の事件で日朝が緊張した元禄7年(1694)、『松蔭日記』によると、中秋の名月を眺める柳沢吉保は、明らかに須磨の光源氏のパロディーです。柳沢は、東アジアの平和を願う光源氏の精神で、武蔵野の開墾事業とともに六義園の造営に取り組んだのでした。
わたくしは、猛暑の日に、まず東京駅から歩いて靖国神社を見学してから、六義園を目指しまして、最寄りと思える駅の降り口を間違えたのか、塀が長かったと記憶しております。それだけに、園内の涼しさは格別でした。あの大都会に、胎児の夢のような空間が守られているのは驚きでした。国境を知らず自由往来した古代海民のオアシスを写したものだろうと思えました。
きょうが、竹島にとっての佳き日でありますように。
投稿: 高塚タツ | 2009/02/22 17:32
私は在野の素人風情で、無学だから多くの人のご意見や考え方を知りたいだけで、大した人間でないですよ。
本当、日々勉強です。
安龍福事件をお恥ずかしながら、高塚さんのコメントによって知りました。
松蔭日記も吉保の側室の日記であることに始めて気づきました。
>それだけに、園内の涼しさは格別でした。あの大都会に、胎児の夢のような空間が守られているのは驚きでした。
何だか幻想的な表現でいいですね♪
投稿: Mr.Misaki | 2009/02/22 21:01