保守からみた司馬史観

 司馬史観。
 司馬遼太郎さんの歴史考察はこう呼ばれている。私自身もこのブログで再三司馬史観を記事にしている訳だが、最近この司馬史観に関して保守系知識人から異論が出ているようだ。
 その話の前に少々私が司馬史観をどう思っているのかを述べさせてはしい。
 司馬史観は歴史学ではなく、あくまでも司馬遼太郎という一個人の思想であり、実際には司馬『私』観と呼ぶ方が正しいであろう。
 しかし、司馬遼太郎さんが国民作家としての地位を築いたがゆえに司馬史観が歴史学上の事実のような捉え方をする向きがある。
 私は、司馬史観を人生の教科書と捉えて読み、そして学んでいる。要は歴史を通じた道徳の教本として司馬作品を読んでいるのだ。
 その中にも私が司馬史観に異論を唱えたいものもある。例えば乃木希典愚将論や、勝海舟を開明的幕臣と捉える考えなどだ。
 乃木希典は確かに旅順攻略に苦戦した。さらには白襷隊という愚行としかいいようのない部隊を編成して無駄な肉弾戦を実施した。
 反面、乃木の統帥力に目を向けると、彼の司令の下に無垢なまでに従順であった部下が、乃木を信じて旅順で戦ったし、旅順艦隊を攻撃するために、正面攻撃と併用して港に砲撃を仕掛けている。
 私は、乃木が下地を作っていたからこそ、児玉源太郎の作戦が203高地を陥落させることに成功したと思う。司馬さんのいうような愚将であるとは思わない。
 勝海舟のことだが、司馬さんは彼を非常に高く評価している。果たしてそうだろうか。
 勝は幕府の海軍力の強化や、江戸城無血開城には尽力した。しかしそれだけで終わってしまい、西郷隆盛のような時勢を操るほどの力量は持ち合わせていない。私から言わせれば勝海舟ごときは単なるネゴシ好きなオッサンだろう。

 話を本題に移したい。
 保守系知識人が司馬史観を問題にしているのは『明るい明治』と『暗黒の昭和』という描き方についてだ。
 司馬史観を歴史学として捉えた場合、それは確かに極端な対比であり、保守系知識人の方々にとっては面白くない。しかし、くどいようだが、司馬史観は司馬私観であり、歴史学ではなく小説である。そこを保守系知識人の方には考慮してもらいたい。
 また、司馬さん自身がいわれているように、司馬さんは戦前の事象の否定のために18歳の自身に向けて小説を書いている。それを考えた場合、必然的に明治の肯定と昭和の否定で結ばれるは仕方ないことだろう。

 最後になるが、保守系知識人の方が司馬遼太郎は攘夷を無謀な思想と断じていると語られているが、それには異論を述べたい。司馬さんは攘夷を変革のエネルギーとして描いている。それは小説『花神』を読んで頂ければわかるはずだ。

 と司馬史観について述べさせてもらったが、これだけ司馬遼太郎という人物が死後13年を経ているにもかかわらず、多大な影響力を持っていることに、私は驚きを感じた次第でる。
 まだ司馬さんの小説を読まれてない方には、ぜひ一読されることをおすすめしたい。

 チャンネル桜 富岡幸一郎氏の「司馬史観に異議あり」動画。
 保守系知識人からみた司馬史観として大変参考になる動画である。

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吉田松陰という人

 私が公僕であった時代の同僚が、このブログを読んで『ジャジーさ、疲れてるみたいだな。』とありがたいような、迷惑なようなメールを送ってきた。
 この同僚、実は職場で優秀な男であるにもかかわらず、その稀有な性格からか公僕らしからぬ言動が多い。おそらくは余程の天才か、余程の変人か、どちらかなのだろう。
 この同僚と同じような性質の人物が幕末の日本に存在した。吉田松陰である。
 私は現在、司馬遼太郎さんの¨世に棲む日々¨を読んでいる途中なのだが、この作品(1巻)の主人公が吉田松陰だ。
 作中の松陰は、平素君子人であるのだが、ある事象を目のあたりにすると行動が飛躍する。飛躍するというか彼が育った環境を鑑みれば辻褄(つじつま)が合う。
彼の師は玉木文之進、司馬さんの幾つかの作品に登場する長州の教育者である。
 文之進の教育は
『私より公をまず考えて行動しろ。』
というものである。また多分に陽明学の影響が強いので、言行一致を旨としているのであろう。その教育姿勢は、吉田松陰や乃木希典に受け継がれ、日本人的精神の基礎となった、と言えば大袈裟かもしれないが、今に至っても彼の思想や倫理観を美的なものと捉える人は多いはずだ。
 そんな訳で世に棲む日々を読んで、吉田松陰という人に迫ろうとしているジャジーです。
 内容はいずれまた記事をアップしたい。

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小説『豊臣家の人々』つづき

 PCでの入力は目が疲れるので、携帯からの投稿にした。
 では前回からのつづきで、話題は淀君(茶々)から。

 ¨秀吉の夢¨であり¨砂上の楼閣¨でもあった豊臣政権だが、関ヶ原の戦いにより瓦解、徳川家康に政権運営を掠奪されてしまう。
 時勢の流れに敏感である戦国の猛者どもは、家康に対して従属してゆくが、なぜだか淀君は時勢を理解していない。関ヶ原の戦いを単なる派閥抗争と考えていた節すらある。
 そこには淀君の生い立ちが関係しているのであろう。
 豊臣家の人々に描かれている他の人物は、自身が卑賤の出自であることを認識し、その事実と新興貴族豊臣家のメンバーとして振る舞わなければならない葛藤が人生の足枷のようになっていた。しかし淀君は違う。生まれながらの武家貴族であり、ゆえに彼女にはパワーバランスがない。彼女にはきらびやかな世界で自身をどう魅せるかが生への執着であったのだ。
 司馬さんはこの作品でそこまでは触れていないが、淀君の未練がましい最期を描いた時点で、それを暗に表現していたことは間違いないはずだ。もし、淀君が豊臣秀吉の側女ではなく、羽柴秀吉時代からの連れ合いであったならば、大阪の陣という愚行に及ばなかったであろう。いや、関ヶ原前夜に尾張派と近江派を和解せしめて、家康による尾張派懐柔策を打ち砕いていたかもしれない。
 司馬さんの描く淀君は、武家貴族としての気位が高く、神輿に乗りやすく、その割にはパワーバランスを理解できない愚鈍な人物であった。それは元々淀君に対して歴史的評価をしない私にとってはある意味痛快な話であったし、淀君の性格も司馬さんが描くようなものであったと想像してしまう。先入観と思い込みとはこんなものである。

 この豊臣家の人々中で司馬さんは多くの場でお話されている¨自己認識¨について歴史小説家らしい描写をされていた。現代に生きる日本人は、どうも生き方が抽象的であり、自己の肥大化もしくは自己卑下し過ぎでいるような気がする。もっとよく自己認識し、今の自身に何ができるのかを考えれば現代社会に窒息しなくて済むのではないだろうか。
 歴史を知ることで、今の生き方を知る。豊臣家の人々を読み終えての私の感想である。

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小説『豊臣家の人々』

 今回の記事も私の話から始めてしまうが、最近電車での通勤が多く、その上乗車時間が長い。さらに慣れない土地での仕事は非常にストレスも溜まりやすく、帰宅時にはグッタリしている状況だ。
 そんな中、前回の記事でも話したように、せめて通勤・帰宅時に楽しみでもあればと思い、司馬さんの作品を読むことにした。それがタイトルの『豊臣家の人々』である。
 豊臣家の人々は転職前に読み続けていたものを、再び読みだしたもので、読み進めてゆくうちに2ヶ月前に読んでいた内容が思い出されてゆき、さらには私が”豊臣家の人々”を俯瞰しているような感覚になるほど熟読したので、わずか3日の日数だけで読み終えてしまった。読書のスピードが遅い私にとって、約300ページ近くを通勤・帰宅・就寝前の3日で読み終えるということは、その内容がそれだけ魅力的なものだということが言える。
 何だか司馬さんの作品のように回りくどい始まりになってしまったが、そろそろ本題に移りたい。

 『露と落ち露と消えぬるわが身かな浪花のことは夢のまた夢』

 豊臣秀吉の有名な辞世の句である。最後の”浪花のことは夢のまた夢”という部分を読むと、秀吉自身が本能寺の変以降そのものを”夢”と認識していたことが理解できる。司馬さんはこの”夢”の主宰者秀吉を取り巻く人物を、この作品で見事な人間描写を駆使して描いている。さらに言えば、彼らの栄華の部分ではなく、陰鬱な部分を濃厚に描いている。それこそが、秀吉の”夢”に翻弄された”豊臣家の人々”であり、司馬さんが読み手に伝えたかった部分ではないだろうか。(少なくとも私はそう感じ取った。)
 そんな中で、秀吉の正妻寧々と異母弟の秀長に関しては、自己を認識した有能な人物として描き、逆に異母妹の旭に関しては新興貴族”豊臣家”の被害者として描いている。
 豊臣政権尾張派の母堂として君臨し、時勢の流れを巧みに読み取る寧々、その寧々が事実上の主宰である尾張派と、茶々を担いで政権実務を握っている近江派の調整役を任されている秀長の憂鬱、さらには秀吉の権謀の道具として不幸な人生を歩む旭、作品の中で独特の司馬史観が彼らに息吹を与えている。見事だ。

 とここまで記してたが、何だか疲れてしまったので、続きは気が向いたら更新したい。ご容赦のほどを。

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仕事帰りの電車で読んだ本

 私の話だが先月の下旬に転職し、営業の仕事を就いた。営業といってもメーカーにおいて小売店さまへ売り込みをするルート営業であり、保険屋さんのような個別訪問の営業ではない。ただ、移動が多く、起床時間が不規則になるため、今まで夜更けまで仕事し、翌朝8時前後に目覚めていた私にはかなりこたえる。疲労も蓄積しているのか、眼底出血までおこしている状態だ。
 あまり仕事の愚痴を長々といっても仕方ないので、この辺でやめておくが、要は私がいいたいのは仕事が忙しいので日本史に触れる機会がほとんどなくなってしまったことだ。
 梅雨の時期までは、頻繁にブログを更新したり、司馬さんの作品を紹介したりと日本史に触れる機会が多かった。しかし、転職前後からこのブログも更新しなくなり、歴史の”れ”の字も頭をよぎらなくなった。
 ストレスが溜まっていて日々考えることは仕事のことばかり。これではいけないと思ったので、今夜は帰りの電車の中で久しぶりに司馬さんの著作を熟読することにした。その作品は『豊臣家の人々』だ。
 『豊臣家の人々』は秀吉が一代で築き上げた豊臣家の中で生きた人物を、独特の司馬史観により描いている名作である。今夜は秀吉の妻おね(高台院)の章と、弟小一郎(秀長)の章を前半部分だけ読んできた。
 司馬さんの描く豊臣家の人々は作品の中で確実に生きている。茶々や石田三成などの近江派を疎ましく思うおねや、私怨で三成ら近江派を打倒したい加藤清正など、その時代々々での人間関係やしがらみ、そして新興貴族の豊臣家に翻弄される秀吉の近親者たち。この作品はこれらの人物の性格的描写を見事に描き出しているのだ。
 この記事では作品の内容を詳しく記さないが、司馬さんが新興貴族の豊臣家をどう考察し、その一族の”家”に翻弄される人々の姿をご覧になりたい方には、この作品はオススメの一冊でる。多くの人にぜひ読んでもらいたい。
 最後も私の話になるが、仕事が終わって疲労困憊していた状態でも、司馬さんの作品を読み始めたら疲れそっちのけで熟読してしまった。私のストレス解消法は日本史、特に司馬さんの小説を読むことなのかもしれない。

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日本版ボートマッチ

 以前、このブログに多くのコメントを寄せて下さった”ASTRO-KT”さんから教えて頂いたツール”日本版ボートマッチ”をご紹介したい。
 現在、読売新聞のインターネットサイトYOMIURI ONLINEでは、有権者の投票行動の基準となる”総選挙2009 日本版ボートマッチ”を提供している。ボートマッチは、30問近い設問に答え、その回答がどの政党と近いのかを判定するものである。私も投票行動の指針とするために先ほどやってみた。
 最も政策が一致した政党は”国民新党”で一致が18、不一致が14という結果であった。ちなみに、最も政策が一致しない政党は”公明党”で、一致が8、不一致が24である。

 私が国民新党との一致が多いのは、必然的な結果かもしれない。4年前の郵政解散では小泉劇場を批判して、郵政民営化反対の候補者を支持したのだから。詳しくはこちら
 郵政公社を民営化することは仕方ないにしても、急激な民営化は利用者の困惑を生むだけだと私は考えていた。しかも、郵貯や簡保の残高が、市場原理主義者や外資系金融機関に流れることも危惧していた。そうした考えから早急な郵政民営化には反対したのである。
 公明党と不一致が多いというのも当然の結果であろう。私はこの国が好きだし、坂の上の雲を目指して必死に走った近代日本人に尊敬の念を抱いている。公明党は支持母体の創価学会が、戦前の日本の覇権主義を全面否定している訳で、歴史認識が私とまったく違う。(日本は帝国主義的な道を歩まなければ、19世紀以降生きてゆけなかったし、ロシアの南下運動に侵食されていたと私自身は考えている。)
 政策も、都合の良い部分だけ自民党に容喙する程度の政党を、支持する気にはなれない。

 現在の日本の政治は”二大政党制”の様相を呈しており、マイノリティーの意見が軽んじられてしまう傾向にある。私の考え方は、真の民主主義とはマイノリティーの意見も汲み上げることができるシステムであると思う。小選挙区比例代表並立制の導入により、その傾向が顕著になってしまった。
 二大政党制は、政権交代が可能なシステムとして評価はできる。しかし前述したように、マイノリティーの意見を封殺してしまう弊害もあるのだ。

 政治について駄文を長々とつづってきたが、このページをご覧の皆様も、インターネットの掲示板などに煽動されることなく、自身の意思で一票を投じてほしい。私も8/30は意思を示しに行く予定だ。

 賢明な有権者の皆さん、選挙に行きましょう。

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ドラマ『坂の上の雲』キャスト

 今秋から放送予定のスペシャル大河ドラマ『坂の上の雲』の配役がほぼ決まった。
 配役は以下のとおり。

秋山真之 本木雅弘

秋山好古 阿部 寛

正岡子規 香川照之

正岡 律 菅野美穂

夏目漱石 小澤征悦

秋山久敬 伊東四朗

秋山 貞 竹下景子

秋山多美 松たか子

伊藤博文 加藤 剛

広瀬武夫 藤本隆宏

東郷平八郎 渡 哲也

高橋是清 西田敏行

児玉源太郎 高橋英樹

長岡外史 的場浩司

井口省吾 堤大二郎

藤井茂太 宮内敦士

陸 羯南 佐野史郎

正岡八重 原田美枝子

秋山季子 石原さとみ

山本権兵衛 石坂浩二

八代六郎 片岡鶴太郎

乃木希典 柄本明

乃木静子 真野響子

伊地知幸介 村田雄浩

 私が思うハマリ役は何といっても正岡子規の香川照之さん。
 映画『剱岳<天と記>』では、案内人の宇治長次郎役を見事に演じきった。また、演技派女優として応援している菅野美穂さんの妹リツ役も期待大だ。
 小説では天才として評価されている児玉源太郎は、高橋英樹さんが演じる。児玉にしてはカッコ良すぎる気もしなくもないが。私は映画『203高地』を観ているので、どうしても児玉=丹波哲郎さんのイメージが強い。
 小村寿太郎の竹中直人さんはハマリ役だろう。

 さて、乃木大将の配役である。先日、柄本明に決定した。小説では徹底的に愚物として描かれた乃木大将、それを誰が演じるのか期待して待っていたのだが、柄本さんとは意外である。前述した203高地でのイメージが強く残っている私は、乃木=仲代達也さんのイメージであるため、ドラマにおいても重厚感のある役者さんが演じると思っていた。
 柄本さんが決して重厚感がないとは言わない。ただ、どうしても『功名が辻』での秀吉のイメージが強いので、この配役を聞いたときは「えっ」と思ってしまった。しかし、評価はドラマを見てからにしたい。
 あとは無能参謀伊地知を村田雄浩さんが演じる。村田さんといえば、私が楽しんで見ていた『スチュワーデス刑事』で財前さんの夫役を公演した俳優であり、個人的には好きな俳優さんである。無能伊地知を村田さんがどう演じるのか注目したい。
 スペシャル大河ドラマ『坂の上の雲』、今から楽しみだ。

 @nifty投票を利用して、以下のようなアンケートを実施しています。ご協力お願いします。

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幕末雄藩”@nifty投票”の結果

 日本史が好きな方の多くは『”~時代”に興味がある』というものがあるはずだ。私自身のその時代は江戸時代と幕末(大局的にみれば幕末も江戸時代なのだが)である。
 特に政治史は好きで、ブログでも多くの江戸政治家を取り上げてきた。
 そして幕末、時代の激動と共に駆け抜けた志士たちの活躍を小説やドラマで見てはその都度胸を躍らせている。もちろん彼らだけでなく、その活躍を支えた藩という組織にも関心を持っている。今回はその幕末雄藩についてブログをご覧の皆さんに投票してもらった”@nifty投票”の結果から随想風に記してゆこうと思う。

@nifty 投票「幕末の雄藩でその活躍が好きなのはどの藩ですか?」の結果は以下のとおり。

薩摩藩:23票 (29%)
会津藩または新撰組等の幕府関連組織:15票 (19%)
長州藩:13票 (16%)
宇和島藩:13票 (16%)
土佐藩:8票 (10%)
佐賀(肥前)藩:6票 (7%)

 結果は薩摩藩がトップであった。やはり幕末三傑のうち2人を擁する薩摩藩に多くの方が魅力を感じたのであろう。西郷、大久保といえば「尊敬する歴史上の人物」という問いで常に上位にランキングされる人物であり、賢君徳川慶喜にして「幕府に西郷、大久保ごときの器をもった人物がおるか。」と言わしめたほどである。
 特に西郷隆盛は人間としての器もケタ外れであろう。本来であればその才覚を駆使してたやすく権力を掌中に収めることできるにもかかわらず、自身を”愚鈍”であると観じきってしまい、配下の人々に仕事をしやすくする。しかもその責任は西郷自身が取る。まさに究極の将帥の姿であろう。
 今の時代にこれほどの器を持った政治家が日本にいるだろうか?狷介固陋な小泉純一郎氏や、曖昧な抽象論ばかり口にする野党幹部たち。もっと西郷のごとく大きく構えて、堂々と国民に向き合うべきではないだろうか。
 現代の政治の話はやめておく。
 西郷や大久保は自身の役割を心得ていた。そして薩摩藩全体を彼らの向かう方向へと舵を切らせた。西郷という巨大戦艦に有能な志士を乗せ、舵は大久保が取る。燃料の供給者は島津久光。ゆえに向かう方向が同じ時には歯車が見事にかみ合い、驚異的なスピードで推進する。しかし、その方向性が違ってくると、あまりに個性が強すぎるために互いを傷つけあってしまうことになる。それが幕末薩摩藩の長所と短所といえるだろう。少なくとも私にはそう映る。

 佐幕的立場の藩に投票される方が薩摩の次に多かった。日本人の伝統的性格である”判官贔屓”をこれにみることができる。佐幕的な藩や組織といえば、会津、桑名、長岡などの徳川親藩や新撰組、京都見廻組といった治安組織が思い浮かぶ。特に新撰組は司馬遼太郎氏の作品「燃えよ剣」や三谷幸喜氏のドラマ「新撰組!」などの影響で人気は高い。私が4年前に壬生寺を訪れた際にも、多くの歴女が隊士たちへの想いを訪問ノートに記していた。
 少々語弊があるかもしれないが、新撰組という組織は治安維持を名目にした単なる”人斬り集団”を、後世の時代小説家たちが義士にまつり上げた感がある。志士としての器量や才覚は土方はズバ抜けているが、他の隊士にはそれが乏しかった。乏しかったと言い切ってしまうこともないが、土方と他の隊士の終わり方を見るとそれは歴然である。

 意外にも長州藩が人気がない。実際は私もこの藩が好きってことはないのだが、明治の元勲伊藤博文のような才覚ある政治家を生み出した藩風は高く評価したい。
 司馬遼太郎氏の作品「花神」の主人公である大村益次郎にしたって、この藩領で生まれていなければ単なる田舎医者として終生過ごしていたはずだ。長州というナショナリズムが強い地域と藩風があったからこそ軍略家大村益次郎になりえたのである。
 また、この藩が幕長戦争に勝利していなければ、倒幕という流れが生まれることなく、さらに日本が文明開化に目覚めることもなかっただろう。そう考えると長州藩の果たした役割は、ある意味薩摩藩のそれより大きかったのかもしれない。

 その他、宇和島藩が高い得票を得ていることに驚く。日本史に詳しくない方には幕末宇和島藩が果たした役割など知ることはないであろう。私自身も司馬氏の「街道をゆく」を読むまでは宇和島藩など”伊達家の枝”程度にしか考えていなかった。しかし、この藩は知れば知るほど面白い。
 藩公の伊達宗城は好奇心の塊のような人で、開明的な人物を身分関係無く重用した。蒸気船の建造に関しては前述の大村益次郎(この時期は村田蔵六と称す)や堤燈張りの嘉蔵、医学に関してはシーボルトの娘イネや、同じくシーボルトの弟子二宮敬作などを重用し、藩を上げての技術革新を成し遂げようとした。
 こうした事実を顧みると、”通(つう)”の人には宇和島藩が魅力的に映るのが分る。

 その他、坂本龍馬や板垣退助を輩出した土佐藩、宇和島藩と同様に名君の鍋島閑叟によって技術革新を進めた肥前藩など、幕末の藩を調べてゆくことは本当に面白い。 

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邪馬台国論争”@nifty投票”の結果

 「邪馬台国。実際そのような名前の国は存在しない。」
といえば大げさかもしれないが、邪馬台国という呼称は”魏志倭人伝”に記されていただけで、日本列島に住む人々はそんな呼び方をしていない。また、邪馬台国と呼ばれるクニを、日本列島に住む人々がどれだけ知っていたかについても、今となっては知る術もない。

 この邪馬台国と呼ばれるクニが一体どこにあり、どのような発展(衰退)をたどったのかという議論は、高名な学者から在野の研究者までの間で尽きない話であろう。しかしその所在地さえハッキリすれば、邪馬台国の実像というもがぼんやりと見えてくるのではないだろうか。
 私の思い込みかもしれないが、近畿であればヤマト王権のベースとなったクニであり、九州であればヤマト王権に従属したクニである可能性が高い。その見極めが困難なために、逆に邪馬台国論争がロマンとして取り上げられる訳だ。
 では邪馬台国が一体どこにあったのか、当ブログを閲覧された方々にそれを問うてみた。結果は以下のとおり。

九州説:37票 (37%)
近畿説:46票 (46%)
その他の地域:7票 (7%)
日本国外の地域:4票 (4%)
そもそも邪馬台国など存在しない:6票 (6%)

 箸墓古墳における調査結果の影響か、近畿説が一番高い得票数を得た。次いで九州説である。朝鮮半島から伝わった文明を濃厚に受け入れたであろう九州地方のクニが、魏志倭人伝を記した中国と交流が深かった可能性は高く、その背景から”邪馬台国=九州地方”は十分に考えられる話かもしれない。
 私自身は再三話しているように近畿説を支持しているのだが、その支持は正直まだ確信には至っていない。
 炭素年代法による調査や、三角縁神獣鏡の大量出土などの物証は近畿説であることを物語っている。いや、これは単にヤマト王権の原型が近畿に存在したことだけの物証であり、邪馬台国の所在とは関係のない話かもしれない。
 このように、考え出したらキリがない。それが邪馬台国論争なのだ。

 色々な意見や主張がある邪馬台国論争だが、所在地判明こそが日本の起源を知る重要な要素であることは言うまでもない。
 今後もこの邪馬台国論争を興味を持って見守ってゆきたい。

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日露開戦を考える

 マイケル・ジャクソンが死んだ。死因は薬物の多量摂取と伝えられている。
 私は彼を見るたびに、コンプレックスという言葉が頭を過ぎる。特に人種というコンプレックスをだ。
 アメリカは多くの人種が存在する国であるのはいうまでもない。しかし、十数年前までは白人優位の社会であり、黒人の大統領が誕生するなど考えられなかった国であった。
 アメリカに暮らすマイケルは、私たちが考えるよりも濃厚に人種の壁というものを痛感していたに違いない。彼がスターダムに伸し上がれば上がるほど、その考えは強くなったであろう。それを彼の変化する外見が物語っている。
 白人は、有色人種に対して自制心が働かない。おそらくはマイケルに対してもそうであり、私たち日本人に対してもそうだ。

 話を1853年に移す。この年、アメリカのペリーが来航し日本は西洋を肌で感じるようになった。当初はそれが忌まわしく映り、やがて攘夷というエネルギーに変化する。
 攘夷が無謀であることを知った日本は、明治維新を経て文明開化の道を歩む。文明は西洋から齎され、文明の進化は帝国主義への道を進むことであった。また、その道を歩まなければ、極東の小国である日本は西洋列強に侵食されていただろう。
 帝国主義による膨張は、日本が生存するための手段であり、そこに悪意は存在しなかった。しかし、西洋列強はそれを成り上がりと見た。西洋列強にとって日本の成り上がりは悪であり、それが観念として固定されていった。
 日清戦争により中国での利権を得た日本へ、ロシアを中心とする列強は躊躇うことなく容喙した。前述した彼らの固定観念がそれを正義としたのだ。
 ロシアは彼らの正義である南下運動を推進すべく、日本への軍事的抑圧を強める。それは日本にとって存続の危機であった。この南下運動を抑えるにはロシアと戦うしかない。日本は帝国主義を推し進めるためではなく、国を守るためにロシアと戦った。

 と、今まで記したことはマイケルの思考と無関係ではない。マイケルと日露戦争時の日本を同一視するのは少々無理があるとは思うが、当時の日本人の思考は西洋列強の観念に抵抗するものであり、それは極端とは言い難いほどに無垢で正しい抵抗であった。
 故司馬遼太郎氏は、小説『坂の上の雲』にこう記している。

 

 それにしても東京裁判においてインド代表の判事パル氏がいったように、アメリカ人があそこまで日本を締めあげ、窮地においこんでしまえば、武器なき小国といえども起ちあがったであろうといった言葉は、歴史に対するふかい英知と洞察力がこめられているとおもっている。アメリカのこの時期のむごさは、たとえば相手が日本ではなく、ヨーロッパのどこかの白人国であったとすれば、その外交政略はたとえおなじでも、嗜虐的(サディスティック)なにおいだけはなかったにちがいない。文明社会に頭をもたげてきた黄色人種たちの小僧憎さというものは、白人国家の側からみなければわからないものである。
 1945年8月6日、広島に原爆が投下された。もし日本と同じ条件の国がヨーロッパにあったとして、そして原爆投下がアメリカの戦略にとって必要であったとしてもなお、ヨーロッパの白人国家の都市におとすことはためらわれたであろう。
 国家間における人種問題的課題は、平時ではさほどに露出しない。しかし戦時というぎりぎりの政治心理の場になると、アジアに対してならやってもいいのではないかという、そういう自制心がゆるむということにおいて顔を出している。
 1945年8月8日、ソ連は日本との不可侵条約をふみにじって満州へ大軍を殺到させた。条約履行という点においてソ連はロシア的体質とでもいいたくなるほどに平然とやぶる。しかしかといってここまで容赦会釈ないやぶり方というものは、やはり相手がアジア人の国であるということにおいて倫理的良心をわずかしか感じずにすむというところがあるのではないか。

 司馬氏がこう記したように、日本がおかれた立場を考えると、日露開戦は回避することは不可能であり、日本にとっては選択の余地がなかったであろう。
 戦後史観によって日露戦争は侵略戦争であると定義されているが、白色人種による人種差別的思考が日本を追い込んだことを、私たちは知るべきである。

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