石舞台古墳は飛鳥時代の実力者・蘇我馬子の墓所と言われている。実際に古墳を目の当たりにし、実力者の墓所という威容に満ちたものを感じた。

上の画像が石舞台古墳。この大きな石の下に石室(空洞)が存在している。
ちなみに、この石舞台古墳は”伝”蘇我馬子の墓所というだけで、実際には誰が埋葬されていたのかは明らかでない。もし、この古墳が馬子の墓所ではなく下級貴族のものと判明したら、私は『威容に満ちた』などと表現しただろうか?馬子の墓所という先入意識がそう思わせるのではないだろうか?
など理屈っぽく考えてしまう。余談までに。
石室内は真夏(その日は梅雨明け間もない酷暑であった)にもかかわらず風通しがよく、快適な室温が保たれており、そこが遺骸を安置する場所として造られたことが分かる。
遥か1400年前もいにしえに造られた古墳だが、石室内の快適さによって当時の人々の英知を感じることができた。


上2枚の画像は石舞台古墳石室入口と石室内部。何十トンもの石が積まれており、造る時は命がけであったと想像してしまう。
最後に産経新聞にこの石舞台古墳について読みやすいコラムがあったので、紹介して終わりにしたい。以下産経新聞より引用。
◎桜の石舞台古墳 馬子が夢見た桃源郷?
春の宵に桜が美しい石舞台古墳。飛鳥はいま、一年で最も華やかな季節を迎えている。
自分の墓が観光名所になったとしたら…。複雑な気分かもしれない。どーんと無防備に存在感を示す巨石は、かつて棺を収めていた石室の上部だ。下には大空間が広がり、最も大きい天井石は推定77トンというから、墓の主の強大な権力が伺える。築造年代(7世紀前半)などからも、飛鳥時代の権力者、蘇我馬子の墓とされている。
「発掘調査で築造のために破壊された群集墳が西側に確認されました。そんなことができる人物は限られる。さらに近年、北東の丘陵で大きな柱穴や小型の建物跡も見つかり、『日本書紀』の記述にも合う。全体からみて馬子の墓といっていい」と和田萃(あつむ)・京都教育大名誉教授。
4代の天皇に仕えた大臣(おおおみ)、馬子は間違いなく大物政治家だが、崇峻(すしゅん)天皇を暗殺した悪役イメージが定着している。一方で、積極的に仏教を招来した庇護(ひご)者との評価も。
おもしろい話を聞いた。『日本書紀』に馬子は桜ならぬ「桃原墓(ももはらのはか)」に葬られたと記されている。なんと古墳近く、馬子邸があったとみられる島庄遺跡の池跡から多数の桃の種が出土した。しかも、花を観賞したケモモではなく食用の桃という。道教で桃は不老不死の果実とされ、日本でも邪気を払う力があると信じられた。「池の周辺に桃を植えたのは道教の神仙思想に基づくのでは」と和田名誉教授。
馬子が夢見たのは桃源郷? 飛鳥には、想像をかきたてられる不思議な力が満ちている。
産経新聞 平成22年4月4日
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